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Posted by みやchan運営事務局 at

空 春 鍼

2012年09月17日

空 春 鍼



『 空春鍼 』とは現代の時代に合った脉状を創れる手技である。

鍼灸師であれば、免許と取立ての初級者にも簡単に出来る刺鍼術です。

空春鍼の手技を本治法に施せば、「春の小川の脉状」を創れる。

その脉状は、清く透明で・暖かい・流れをしている。

童らが、イタズラに小石を数個投げ込むと、春の小川は一瞬、水しぶきを上げざわめくが、

しばらくすると又、元の「清く透明で・暖かい・流れ」に何事も無かったように戻っている。


この時代は、他者からの心ない言葉の凶器にさらされる日々である。

過ぎれば暴力を受けることさえも日常茶飯事化して来た。

そんなときの「春の小川の脉状」を持つ人は、

それらの事件が起こる前に、相手の考えも理解し、自分の考えも上手に伝え、

誠実な関係、笑いさえもかもし出す関係えと変えうる。

「春の小川の脉状」は、そんな心理状態を自分の心に作りだせる。

もちろんこの脉状は、自分の身体を巡っているのだから、

気分の良い心持と健康な身体を約束しれくれる。


この「空春鍼の手技」は、

押手の示指で経絡上の生きたシヤボン玉の様な繊細な「ツボ」の気を捉え、

押手の示指は下面の肌の気と「ツボ」の気を同時に感じ、

押手の拇指も同じ様にそれらを独立してそれぞれ感じている。

そこに刺手から鍼尖が「シャボン玉のツボ」を潰さない様にやさしく接触させる。。

また、鍼体は押手の示指、拇指の左右の気で「気の鍼管」を創りそれに包まれている。

後は脉状に応じて補法、瀉法をおこなうことで。

「春の小川の脉状」を創れる。


これは、標治法においても、

刺入鍼よりもはるかに高い効果を約束してくれる。



ゆっくり堂 鍼灸院 
山口一誠 
住所 : 宮崎市天満2-4-26
http://you-sinkyu.ddo.jp/
メール : yukkurido@ybb.ne.jp
電話 : 0985-50-5174

礼節・愛・幸福・・感謝・ゆっくり行こうよ。♪

鍼灸の『本治法』が、

人々の健康をシンプルに守る治療法だと信じています。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°


2012.9.17(月曜日)

 

Posted by やまちゃん at 11:34 | Comments(0) | 補法の手技。

湿 論 の 分類考察

2012年09月06日


東洋はり医学会、発行。

「南北経驗醫方大成による病証論 井上恵理 先生 講義録」

「四、 湿 論」の分類考察をするに当たって。



井上恵理先生の言葉は、私のような経絡鍼灸の初級者にとつては、

難しく、理解の及ばない事が多いのですが、

これも私自身が経絡治療家として社会的使命を達成する為に、

必要と思い分類考察をするに当たっています。

 日本では、初め、僧侶の人たちが、仏教と共に、病気を治す為の医術として、

鍼灸の技術を会得し、日本の地に暮らす人々その術を処置して健康に寄与して、

途切れることなく、今につたわり、

東洋はり医学会をして、

現代人に対する、治療法の研究・臨床実践・理論化を集団で行なっています。

そして、現代病に罹患した、人々の心と身体の治療をしています。

井上恵理先生は初期の東洋はり医学会の会員に古典理論を、

自らの実践理論を通して講義をされています。

「南北経驗醫方大成による病証論」を学ぶ事は、

現代の経絡理論と日々の臨床に結びつくと思います。

-----------------------

「南北経驗醫方大成による病証論 井上恵理 先生 講義録」

「四、 湿 論」

【】・――〔〕内は、山口一誠の考えやタイトルです。

※ 詳しくは本文:
  「南北経驗醫方大成による病証論 井上恵理 先生 講義録」
   発行:東洋はり医学会、をお読みください。

四、 湿論  c314   P49上段1行目 ~ P59下段終行より。

 「南北経驗醫方大成 四、湿論」の原文 

湿之爲氣、沖溢天地之間、流注四時之内。
體虚之人。或爲風雨所襲、或訃卑湿之地、遠行渉水、或山澤蒸氣、或汗出衣裏冷、則侵漬脾腎、皆能有所中傷。
著腎者腰痛、身重如坐水中、小便不利。
著脾則四肢浮腫、不得屈伸。
若挟風則眩暈嘔?、心間煩熱。
兼寒則拳攣掣痛、無汗悪寒。
帯暑則煩渇引飲。、心腹疼痛、面垢悪寒。
凡感湿之證、其脉多沈緩而微、其證多四肢倦怠不擧。
法當踈利小便爲先。
決不可軽易汗下並用火攻。
若有泄瀉等證、又當於各類求之。

ーーーーーーーーーーーー

井上恵理 先生の訳:

湿の気たる事、天地の間に沖溢(ちゅういつ)し四時の内に流注す。
体虚の人。或いは風雨の為に襲われ、或いは卑湿の地にふし、遠行に水を渡り、或いは山澤の蒸気に感じ、或いは汗出でて衣の裏、冷ゆる時は、脾腎を侵漬して、皆よく中傷せらるる事あり。
腎につく者は腰痛、身重く、水中に坐するが如く、小便利せず。
脾につく時は、四肢、浮腫し屈伸するを得ず。
若し風を挟む時は、眩暈、嘔?(おうえつ)し、心間煩熱す。
寒を兼ねる時は、拳攣(けんれい)、掣痛(セイツウ)し、汗なくして悪寒す。
暑を帯びる時は、煩渇(ぼんかつ)して飲を引き、心腹疼痛し、面垢づいて悪寒す。
およそ湿に感するの証、其の脉、多くは、沈緩(チンカン〕にして微(び)、
其の証、多くは四肢、倦怠して挙が らず。
法、まさに小便を踈利(しょり)するを、先と為すべし。
決して軽易に汗し、下し並びに火を用いて攻むるべからず。
若し泄瀉等の証、有りては、又まさに各類に於いてこれを求むべし。

ーーーーーーーーー

井上恵理先生の解説と言葉の意味:  P52下段から。

〈 四、湿論の解説 〉

―湿の邪気は、天にも地にも、どこにでもあり、四季を通じてもある。

「虚体の人」〔とは〕内因を起し湿邪を受ける体質の人。年中どこにでもある湿の邪に、
全部の〔人間〕がやられるのではなく、「虚体の人」と断っているのです。

これは湿邪だけでなく、風寒暑の邪すべてです。

「或いは風雨の為に襲われ、或いは卑湿の地にふし」・・
卑湿とは、湿気のある土地、家に住んでいる事、
「遠行」遠く歩いて「水を渡り」水、湿地を歩く、「山澤の蒸気」山登りをする人は解りますが、
私は山が好きで、アルプスの開拓に参加した事もありますが、山の天気は激しく、ヒューと〔風雨・霧靄が〕来ると前が見えなく、寒気が激しい、凍えるという症状は自覚症がないもので、
物をつかんでみて、〔手足・指が〕利かないのが解るもので、その為に遭難するのです。
山澤の蒸気とは、そうゆう事です。

「或いは汗出でて衣の裏、冷ゆる時は、脾腎を侵漬して、皆よく中傷せらるる事あり」・・
体虚の人、これは虚弱ではなく、内因の陰虚の事で、この人が、
①風雨の為に襲われ、
②湿気のある土地、家に住んでいる、遠く歩いて水、湿地を歩く、山澤の蒸気を受ける。
③汗が出て濡れた着物の為に、湿気にやられる。
この三つの条件で脾胃が冒されるという事です。

腎につく物は、腰痛、身体が重くなる。
これはだるいとは違うのです。動くのいやになる事です。
水中に坐するが如く、腰から下が冷える。男性よりも女性に多い。
―「小便利せず」・・小便が少なく出にくくなる。れは閉尿とは違うのです。

脾につくと「四肢、浮腫」手足が浮腫む、「屈伸するを得ず」曲げたり伸ばしたり出来ない。
「湿気が風を挟む時」風湿ともに入った時「眩暈」めまい。「嘔?(おうえつ)し」吐くのではなく吐き気とゲップ。「心間煩熱」心は胸で胸の間がイライラする。

「寒を兼ねる時」寒と湿が一緒の時。
「拳攣(けんれい)」拳、手先が震える。「掣痛(セイツウ)」痛みが走る。
「汗なくして悪寒す」汗がないのにブルブル震え、寒気がする。
汗があって寒気がするのは風です。

「暑を帯びる時」暑と湿が一緒の時。「煩渇(ぼんかつ)」し切りに喉が渇く。
「飲を引き」水を飲みたがる。「心腹疼痛」胸と腹が痛くなる。「面垢づいて悪寒す」顔の艶がなく垢の様になり、そして寒気がする。

「湿に感するの証、其の脉、多くは、沈緩微」
〔湿証の脉状は〕沈(しず)んで、緩(ゆる)やかで、微(わず)かに打っている。
「其の証、多くは四肢、倦怠して挙がらず」
手足が怠(だる)く、手が上がらず、上げても下がる。

治療法は「小便を踈利(しょり)するを、先と為すべし」
小便をよく出す様にする。
けして軽々しく病状が―たいした事で無い様に思い、「汗し、下し並びに火を用いて攻むるべからず」発汗剤、下剤、の瀉法や冷えるからといって、お灸やカイロ、火を用いて暖めるのはよくない。

「泄瀉等の証、有りては、まさに各類に於いてこれを求むべし」
泄瀉は腹下し、〔大便が〕どっと出て気持ちが良い事なら、下る方の治療をしなさい。

ーーーーーーーーーーーーー

 鍼灸の経絡的考え方 〉: P50下段より。

〔湯液家と経絡鍼灸師との違いについて:〕

―経絡鍼灸師は、経絡を中心に診断し治療する。

―〔湯液家の後世派〕の中に於いては臓腑との関係に於いて「経絡」を考えているが、
我々〔経絡鍼灸師は〕経絡から、臓腑を考えなければならない。


〈 古典の生かし方 〉 P50上段より。

〔湯液家のための〕病証論をこのまま経絡鍼灸論に転化する事は難しい。
―漢方薬を使う為の病証論ですから―

1939年(昭和十四年)
経絡鍼灸の理論と法則が世界で始めて確立されるまで。

― 鍼灸家の書いた「鍼灸重宝記」も経絡治療法則の検討は成されなかった。

【経絡鍼灸の理論と法則】

―身体の変動を診るのが、経絡的診断です。

そして、それを正しく整えるのが鍼灸の治療となるのです。― 

経絡治療の方法に「虚」と「実」を考えます。

虚を補うのも治療です。― 実を瀉すのも治療です。―

例えば、陰経虚証といえば、その陽経は実証なのです。

     陰経実証といえば、その陽経は虚証なのです。

〔経絡治療の〕中心をどこに置くかは、

その治療家の考えによって良い訳です。

但し、ここで問題になるのは、

治療過程に於いて、

どちらが最も早く治療し得るかという事です。


ーーーーーーーーー

〈古典研究会〉:パス。
〈後世派と古方派〉:パス。

ーーーーーーーーーーー

〈 証と症状 〉  P51下段より

昔も今も同じ事ですが、
症状を取るという考え方、症状とは自覚症状の事で、患者が解る事です。
〔腰痛・肩凝り・膝痛・腕の痛み〕頭痛、便秘等の症状を訴える。 
証を訴える人はいない訳です。
脾虚証だから治療してくれと言う人はいない訳です。
これは術者だけが解る事です。

〔下工には「証」はわからないので〕その症状を取り除く事に、患者が満足するので症状にこだわり、媚びる傾向がある。出来ないのにやろうとする。
それが単なる外傷を受けた捻挫、打撲等なら痛みは取れやすい。
〔だが、内傷に原因がある肩凝りの場合は、〕唯(ただ)、肩だけを満足の行く迄(まで)、治療すれば後で〔症状が再発し〕悪くなり決して良くならないのです。ところが患者は症状が取れると、治ったと思い、そして来なくなるが又痛くなり、鍼は癖になる〔と誤解した宣伝を人々に伝える様になる訳です。〕

【 上工は経絡鍼灸の理論と法則から、
その症状が、単なる外傷労倦か、内傷から、経絡の伝変を起こし、
陽に現れた症状かを判断し治療する。】

― 最も危険な例が肩凝りです。その〔原因が〕内傷から起こり、絡の伝変(でんへん)を起こし、そして陽に現れた症状は、んなに簡単に取れるものではない。

肩凝りが外傷労倦から来る物は休ませれば治る。働きすぎたから痛くなった。
その人の体は正常なのです。寝なかったら眠くなる。食べなかったら腹が減る。
これらは全て正常です。
 
しかし〔内傷に原因がある人の場合は、〕食べないのに腹が空かない、三日寝なくても平気である、疲れたのがわからない、その人の体が悪いのです。
何もしなくても、寝ていても肩が凝る。これは単なる外傷労倦ではなく、
人体のアンバランスがあるから、その様な症状が起きた物なのです。

〔内傷に原因がある人の症状を賃貸借に例えると、借金をして〕利息だけを返しても安心にはならない、元金を返さないと利息は又、貯まる訳です。
元金を返さないと、症状は又何時でも出ることはごく自然なものなのです。

【 内傷に原因がある人の場合は、経絡治療による「証」立てが必要なのです。
そして、証に基ずく『本治法』を時間をかけて治療します。
病の軽重により、半年から数十年の治療が必要になります。
そうすれば、肩凝りの先にあった、死の病魔も先送りが出来、天寿を全うできます。
肩凝りの解消から未病の治療、健康増進の道に入れるのです。】

ーーーーーーーーーーーーー

〈 診断と証 〉   P52上段より。

― 経絡的診断に〔湿論〕を参考にして証に繋げるのは良い ― 

― 我々〔経絡鍼灸師は、湿邪が五臓に影響をあたえたその〕
変動があった時の、臓器という物を考えるべきです。

 これは、現代医学の病名にもあてはまる事です。
例えば肝臓が病変を起こしている時、それを肝経の変動とは言えないのです。
肝臓の病気の中に、肝経で治るのもあるし、腎経で治るのもある訳です。

これは肝臓が悪くなった現象は、
その〔原因の〕元にある物、〔経絡の変動は〕、
それがその人に〔個別に〕有るという事です。

 例えば、酒を飲むと肝臓が悪くなるというが、誰でもは悪くならない。
そのように、因果関係がある様でないのが人間の体です。

その人の個人差によって大分違うのです。
 そうゆう面で、絡的診断を診ていくと、非常に解り易いのです。

〈 診診だけの限界 〉  P52下段より

― 病症も診断も考えないで、脉だけ整えれば経絡治療が可能なりと考えたら、
これは間違いです。 

例えば、はっきり腎虚証だと解る脉ばかりだと良いのですが、
全部の脉が実か虚の様に診えたりで、脉診だけで決めるのは出来ないのです。
脉診だけでは?み所のない病気もある訳です。
そういう時に、
この病証というのが役に立ってくる訳です。
病証に従って一つの病状的治療をやって、脉がハッキリしたら脉を整える。

そうゆう方法を取って行けば良いのではないかと考えます。

ーーーーーーーーーーーー

― 古典研究会の湿証の研究 ―  P54上段8行目より

〈 景岳(けいがく)全書の湿邪 〉

これは「類経」を著した「張介賓(ちょうかいひん)」が、あらゆる病証を集めた物で、湿邪について五論ありま す。
1、天の気 風雨にあたり臓器を傷(やぶ)る。
2、地の気 湿地にあたり肌肉、筋脉傷る。
3、飲食  濃い酒を飲み汗を出し六腑を傷る。
4、汗液  汗によるものそう理を傷る。
5、内より生ずる、水が消化せず胃に滞り内傷湿邪となり脾腎につく。

 【 胃内停水は、水湿の邪 】

 胃は水分、アルコールを吸収する。幽門は物が通り水が通らない。
胃の中で水の音がする。〔胃部振水音〕あれが水湿の邪です。
症状としては、
① 汗を出し湿邪が皮表にある物は、発熱・悪寒・自汗する。
② 湿邪が経絡に入ると、痺れ、痛み、〔身体〕重く怠く筋骨疼痛、腰痛し、
  寝たり起きたり出来ない。四肢が弱くなり痛いのに押さえても解らない。
  イライラして足の置き所がない痛み。
  湿邪が肌肉ある物は、足が腫れ、押すと元に戻らない。
③ 湿邪が臓腑に入ると、吐き気、お腹がふくれる、小便が出にくくなる。
  ―小便が黄色、赤色になる、小便が渋るから泄瀉が起こる。―お腹が痛くな
 り、お尻の方に下がるようになる。脱肛〔痔〕を起し、所々麻痺した様になる。

 病の軽重、経絡の病は湿邪が外から入ったので軽く、飲食の病は内より生ずるから重いのです。 例えば、酒の飲み過ぎは、水が消化しなく内傷湿邪により重いのです。ただし、経絡にあるから臓器には関係ないという事はないし、臓器にあるから経絡には関係ないという事はないのです。
 
〈 曲直瀬道三の考え方 〉 P54下段より。  〈 湿の発生 〉P55下段より。

「啓廸集(けいてき)」の中に、「湿は土の気なり熱よく湿を生じ、故に夏熱する時は、万物湿潤し、秋涼しい時は、万物乾燥する」 
これは、日本の風土に合った湿のとり扱い方をしています。
夏は暑いので湿気が無い様に思うが、暑いほど、湿気がある。秋は涼しくなると、万物が乾燥するという、湿気とはそうゆう物です。
地下室は冬乾燥し、夏湿気する。
―湿った服を熱に当て乾燥させる時に出る蒸気、これを湿と云うのです。
湿という物は、湿っぽい冷たいとうい感じではなく、熱を生じ湿気を生じるという事を―〔しっかりと認識してください。〕
湿病の元は、水〔腎〕から生じる。湿、熱によって水も巡らす。停滞して、湿を生じるという事です。熱は湿を生じる。熱は火〔心〕です。湿は土〔脾〕です。
火は土を生じるという事〔五行の相生(母子)関係〕を別の言葉で、熱は湿を生じると成ります。
脾土の弱い人は、この邪を受けやすい。― 
風寒というものは、症状が表面に出やすい。だから、すぐに熱、寒気、痛みの症状が出てくるので治療するが湿邪の時は、怠(だる)い、重い等、症状が激しくないので疎(おろそ)かにしやすい。しかし、間違いです。

ーーーーーーーーーーーーーー

〈 暑邪(しょじゃ)と湿邪(しつじゃ) 〉  P55上段より。

― 湿気をあまり問題にしないのは、経絡的変動が少なく臓腑的変動に成っているからです。その為に、湿邪、暑邪は、こう治療するというのが無いのです。

だから病証的に成るのです。
霍乱(かくらん)は、暑邪の病。
泄瀉、嘔吐、張満、自汗の症状は、湿邪の病。

鍼灸の方では、
病症を参考に治療ができるので、湿邪や暑邪のことは云っていないのです。

ーーーーーーーーー
参考:
三 、暑 論 c313 〈 鍼の治療 〉より。  P46下段12行目~ より。

この大成論は湯液家(とうえきか)が書いたので風寒暑湿燥火という邪が論じられているが、鍼の方では、寒暑湿の治療法や理論がなく、

例えば中暑は霍乱(かくらん)、下痢は泄瀉(せしゃ)痢病(りびょう)嘔吐、喘(ぜり)つくは喘息、喘急と別の形で扱います。
「鍼灸遡洄(さっかい)集」の本に、
霍乱に二症あり、飲食に破れ、風寒暑湿に感じてなる。
①湿霍乱は、腹痛、疼痛、吐瀉、下瀉、手肢、厥冷し六脉沈んでたよる事なす。
②乾霍乱は、最治し難く死することついに有り。

【鍼の方では、寒暑湿の治療法や理論がない、が。】

 【中暑の鍼治療法として・・・】

〔刺絡法:委中穴に深く刺して血を出す対象は、手足厥冷し脉沈伏にして吐く事も、下す事も出来ず腹が渋る様に痛い病症の時に委中穴を用いる。〕
〔陰陵泉・承山穴に深く刺す対象は、霍乱で腓返(こむらがえ)りの症状の時。〕
〔幽門穴を深く刺す対象は、胸中、満悶して吐かんと発する症状の時。〕
〔尺沢・手三里・関衝穴に浅く刺す対象は、吐瀉する症状の時。〕
〔承筋・?揚穴に深く刺す対象は、腓返り(転筋)で、足の腱が引っ張って動かない症状の時。〕

【暑邪の特徴】

暑を受けた邪というものは、熱があって吐いて、下して、目を引きつける症状です。

【中暑と霍乱を考えるー山口一誠の考察です。】

〔中暑とは、暑が蔵に中(あ)った症状を指している。?〕

〔霍乱に二症あり、飲食に破れ、風寒暑湿に感じてなる。

①湿霍乱は、腹痛、疼痛、吐瀉、下瀉、手肢、厥冷し六脉沈んでたよる事なす。

②乾霍乱は、最治し難く死することついに有り。これ本文より。〕

ーーーーーーーーーーー

〈 湿邪の体質と病証 〉  P55下段より。

【ここのポイントは、】

【1:湿病は、熱により体が鬱(うつ)して、体液の循環が悪くなり、
       経気が巡らず停滞して湿の病を起す。と覚える事。】

【2:湿邪を受けやすい体質は、消化器系統が弱いタイプ。と覚える事。】

1:「湿病のもとは水から生じる。熱により水道巡らず停滞して湿を生ず。
   況(いわ)んや湿は軟弱の人に感じやすし」

―これは我々体に湿邪として当たる状況を説明している。

湿に起こる病というものは水から生じる物のではない。
体から出るものではなく、熱により我々の体に熱が鬱(うつ)しているから、
水道巡らず体の経気が巡らず停滞して湿を生じる。

2:「脾土、虚弱の人、感じやすい」―
湿邪を〔受けやすい体質者〕は、脾(膵臓)とか胃とかの消化器系統が弱い人。
―〔力仕事をすると、体が怠くなる人、筋肉の弱い人。です。〕

『玉機微義(ぎょくきびぎ)』の本の中に、
「人ただ寒風の嫌悪を知りて暑湿の冥患(めいかん)を知らず」とあります。
寒、風は厳しく我々の体に感じるので、すぐわかるが、「湿邪」「暑邪」は、
冥患(めいかん)と言い、知らない内に体に入って来るものです。

医経の本の中に『中湿、諸湿の支満は脾土に存し、湿勝つ時は、儒瀉なり、地の湿、感ずる時は肌肉、筋脈を害する。脉、沈緩、沈微細みな中湿の脉なり』
これは湿に感じる支満(腫れぼったい)、なんとなく顔、体、手足が腫れぼったい。
これはみな湿に感じているのです。
「湿勝つ時は」―湿気が入ると儒瀉する。すなわち軟便になりやすい。我々が食べ物に気をつけても軟便する。その時、体が怠い。これは肌肉や筋脈を害されみな湿に感じているのです。
「中湿の脉は沈緩」―沈んで緩(ゆる)やか、或いは沈微細、細く微(かす)かな脉を打っています。

ーーーーーーーーーーーー

〈 湿邪の体質と病証 〉  P55下段より。

【ここのポイントは、】

【1:湿病は、熱により体が鬱(うつ)して、体液の循環が悪くなり、
       経気が巡らず停滞して湿の病を起す。と覚える事。】

【2:湿邪を受けやすい体質は、消化器系統が弱いタイプ。と覚える事。】

「中湿に内外の証あり」―これは〔湿邪が〕内に入った〔場合と〕外に入った〔場合とがある。〕
―内の場合は、外に感ぜず経脈、経筋に関係なく内臓の意味です。
「湿、寒を挟みて」―これは湿と寒が共に入って内に甚だしい時は腹痛、下痢する。
          外に甚だしい時は、体が重く疼痛する。
〔湿が風を挟みて〕―湿が風を挟んで、外に甚だしい時は、体が重く痛く汗が出る。
風邪というのは、いつも汗が伴っている。 
汗が出る時は外、汗でなく悪寒する時は内と風邪〔ふうじゃ〕は、いつも汗の有無が決め手になる。―
〔湿が熱を挟みて〕―湿が熱を挟む時、内に甚だしい時は瀉利する、
       いわゆる、下痢瀉利(痛まない下痢)、ダッと何故出た解らない下痢で腹痛は無い。
「外に甚だしい時は、或いは痛み、或いは熱し、或いは腫れ、或いは発黄する」
―外とは表面で皮膚、筋肉、この時は痛み、熱し、腫れ、発黄(体が黄色くなる)する。
内外の証として内因があり、
中湿に冒〔侵入〕されると中満(腹が腫れ満ちる)。支満(胸がつっかえ下痢する)。
外に感ずる時は痺(痺れ、或いは痛み)、浮肢(足の甲が腫れ痛む)。
湿証の寒熱というのは、湿熱の証は多く、湿寒の証が少ない。
脉診すれば解る。湿熱の脉は、滑数(かつさく)であり、尿が赤く渋りエンゲン(水気の物を取りたがる)する。
「湿寒の証は小便自利、大便瀉し身痛んで自汗する」
―小便自利は〔お漏らし。〕、大便瀉は下痢、体が痛んで、じっとしていても汗が出る状態。
汗にも色々ある。四足汗(手足に汗が出る)、頭汗(顔だけに汗が出る、これは顔の事)。
「医方諺解 (いほうげんかい)」の本の中に、
「その人虚弱なるが故に、人、湿にあたる」
―虚弱という事は弱いという事ではなく内傷を起し易いという事です。
皮膚にあたる時は頑痺(頑固な痺れ)する。
〔痺(しび)れにも色々ある。〕― 感覚的にしびれる時、感覚がないのも痺れ、痛みのない痺れ、物に触れてもわからない痺れ、抓(つね)ると痛く触れると解らない痺れ。また、この逆もある。
痺れというのは、時に起き、時に止む。座って痺れたてば治るのがそれです。
ところが、頑痺というのは年中、痺れています。甚だしい時は、寝ている時は解らず起きていて解る。また逆もあり、これを「メイシ」といいます。
「気血にいれば倦怠する」―気や血を冒されると倦怠するのは湿の特徴です。
我々は怠いという症状を簡単に扱うが倦怠も色々有ります。

ーーーーーーーーーーーーーー

〈 湿邪と五臓の病症 〉   P57上段後ろから3行目 ~ P58上段 7行目より。

肺に入れば喘満(咳が出て胸が張る)。
脾に入れば湿痰(湿気のある痰が出る)、支満(胸がつっかえ下痢する)。
肝に入ると胸満、支節、不利をなす。胸満とは脇腹が満して節々、
  ことに手足の節々が利かなくなる(動けないのではなく動きにくくなる)。
腎に入れば腰痛、股痛、身反挟し、脚はサツイの如し。 身反挟しとは、体が板で挟まれた窮屈な感じの事。脚はサツイとは、足が抜け出す感じの事。
腑に入れば麻木不二。麻木(麻痺)不二(利かない)。

「臓に入れば屈伸する事あたわず額(あご)強直する」
湿邪を観察すると色んな症状を起こしている。
―湿邪は解らないうちに〔体に〕入ってしまう。 何でもないのに下痢する、腹は痛くない。これは完全に湿邪です。その証拠に寒い時(秋から冬、春の初め)にはなく「夏」に多い。 例えば、身体は一定の温度に保たれ、全ての機能が正常なのに冷たい物を食べ機能減退を起すので、熱を出し湿を生じ下痢をするのです。冷たい物は喉も
と過ぎる時だけで逆に暑くなる。暑い時は熱い物をとると後は涼しく成るんです。
これは病人を扱う基本条件です。
神経痛の人は酒を飲んだり風呂に入ると、その時は楽になるが、その後、痛くなるのです。私は、酒とか風呂を止めず、自分で痛みを体験させ解る様にする。
どうせ世の中、人間は多いのだから一人ぐらい死んでも心配ないだからと言うと大抵はやめる物です。

〈 湿邪の治療 〉 P58上段9行目 ~ P58下段3行より。

【湿邪の治療法は、体に力を与えて、湿邪を取り除くのです。】

痛まない下痢、体が怠い、手や体が強張る、腫れぼったい、押さえられた感じ、この時は一応、湿の邪を考える必要がある。
湿の邪が入った場合、鍼はどうするか、痛いとかいうのは虚か実かの治療法を考えますが、湿の邪に入られる時は意識なく深く入るので、体に力を与えて、湿邪を取り除くのです。

〔湿邪が〕皮膚に入り、麻痺を起こしている時は、円鍼を使うと効果がある。
よく高血圧、脳軟化症、エンボリ(塞栓症)の状態で湿邪に中(あた)っているのが沢山ある。
〔注意〕中風の邪にに中った脳梗塞様の物と明確に区別して治療する事。

 ○ 中風の治療 ―  P16下段後から7行目からP17上段12行目まで。より。

 中風の治療方法というのはですね、こういった症状にはこういうツボにこうするんだと古典に記載されていても すね、我々の行う経絡治療は証に従って治療するのですから、その時にどの経が実しているか虚しているかに依って治療法が決められるんです。

【お灸の治療法:少しの経穴に要点を決め、多壮灸を施すと効果がある。】

〔注意〕
湿邪に中った時、お灸が良いように考えるがよほど加減しないと体を損傷する場合がある。
少しの経穴に沢山お灸をするのは良いが、多くの経穴を取るのは良くない。
ところが、腫れぼったいとか痺れ、怠いは範囲が広くなるので、広い中の要点を決め、そこに多壮灸を施す方法が案外効果がある。

鍼の場合も同じで事です。〔少しの経穴に体に力を与える補法で効果がある。〕

円鍼だと体に損傷なく、〔効果がある。〕

置鍼でやる補法も良い(痺れを取る)。

皮膚鍼も良いが、やり過ぎない事。

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〈 全体の体の調和 〉 ―  P58下段より。

邪の入る状態により迷いやすいのは、
症状が同じでも(痛みをとる)病因(風邪、寒邪、乾邪、湿邪、)により鍼の手法が違うので、病症論が必要なのです。
ただ脉を整えるだけでは済まされないのです。
脉を整えるのは全体の体の調和の方法で、
例えば、一本のヤジロベェが平行であれば健康であり、曲がれば不健康であるが、平行であっても支柱の上下により身体の状態は違うのです。
より良い体は支柱が高く平行している事です。平行していても支柱が低いと身体の調子は良いが、何かするとすぐ疲れ、精神的に動揺、根気無くなる危険がある。平行にするのが本治法であるが、病人の場合、平行しても支柱の中に安定するだけの力がないので、又曲がり病気の根治にならないのです。

【 経絡鍼灸の本治法は、
 健康のヤジロベェを平行にして支柱を高く安定した力の有る物にする。】

〈 気、来たるとは? 〉 ― P58下段後4行目 ~ P59上段後1行目より。

― 気、来たるとは、― いろんな条件の総合した物、― 鍼を刺す場合、その場所がどう成っているか観察する事です。
固い、柔らかい、熱、冷え、痛み、何か有るのが無くなる事が、「気、来たる」という事です。
目で見る時、刺した所が赤くなる。〔肌で感じる時、〕赤くなる事は、そこに血が集まって来、冷たい物が温かく成って来ている―温かい事を良しとし、皮膚のザラザラが艶が出てくる、湿っぽくなる、動脈上の経穴は脉が強くなる、こういう事が、「気、来たる」です。

鍼を刺す時、脉だけでなく、そういう事を総合的に考え無心で打つ事、無心は何も考えない事ではなく、何かに集中する事です。

― 病症のあり方を記録してるだけでなく、研究し、知識の中に持っている事が大事です。―


〈 鍼灸師の心がまえ 〉 P59上段うしろ1行目 ~ P59下段終行より。

私の師匠が「鍼を刺す為には人に成れ」と言われた。

これは全ての行動、行ない、発言が、煩(わずら)わされなく〔心を悩ませる事なく。 面倒をかける事なく。〕人間的行動がとれる様にと言う事です。

私達は一人でなく、みんなで〔経絡鍼灸道を〕遣(や)っています。

人の言う事も、自分の言う事も、練磨・琢磨して認め合い取り入れる。

それは素直でなければいけないのです。

迷いがあるのは自分に自信がない事です。

みなさんの様な団体〔東洋はり医学会〕があるのは幸福なのです。

治療の場合、一人で解らない事は一生解らないのですが、
みんなで考え解決し、向上して行くのです。

だから鍼は術だけでなく道が大事なのです。


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※ 詳しくは、

「南北経驗醫方大成による病証論 井上恵理 先生 講義録」
発行元:東洋はり医学会、をお読みください。
http://www.toyohari.net/link.htm

または、

ゆっくり堂鍼灸院:経絡鍼灸 教科書:
「四、 湿 論」をご覧ください。
http://you-sinkyu.ddo.jp/c314.html

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ゆっくり堂 鍼灸院 

山口一誠 

住所 : 宮崎市天満2-4-26
http://you-sinkyu.ddo.jp/
メール : yukkurido@ybb.ne.jp
電話 : 0985-50-5174

礼節・愛・幸福・・感謝・ゆっくり行こうよ。♪

鍼灸の『本治法』が、

人々の健康をシンプルに守る治療法だと信じています。

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2012.9.6(木曜日)







 

Posted by やまちゃん at 10:36 | Comments(0) | 南北経驗醫方大成・病証論