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五十変の脉診がある。難経 第十難 

2014年03月29日

 
  難経 第十難

ゆっくり堂の『難経ポイント』  第十難  


  
※ 十難のポイント其の一、

十難の「一脉十変」の意味は、

「心」に於ける五つの変化と「小腸」に於ける五つの変化を合わせて十変の脉診と言う事です。


※ 十難のポイント其の二、

十変が各臓腑にありますので五十変の脉診がある事になりますね。


※ 十難のポイント其の三、

心病脉に於ける一脉十変の表(nk101)を作りました。




ゆっくり堂、初学者用、経絡鍼灸教科書、
『難経』にも掲載があります。合わせてご覧ください。
http://you-sinkyu.ddo.jp/an1.html


難経 第十難 原文

(『難経』原本は底本:『難経』江戸・多紀元胤著、『黄帝八十一難経疏証』(国立国会図書館所蔵139函65号)オリエント出版、難経古注集成5(1982年)に影印)を参考にしています。

十難曰.
一脉爲十變者.何謂也.
然.
五邪剛柔相逢之意也.
假令
心脉急甚者.肝邪干心也.
心脉微急者.膽邪干小腸也.
心脉大甚者.心邪自干心也.
心脉微大者.小腸邪自干小腸也.
心脉緩甚者.脾邪干心也.
心脉微大者.胃邪干小腸也.
心脉?甚者.肺邪干心也.
心脉微?(ショク)者.大腸邪干小腸也.
心脉沈甚者.腎邪干心也.
心脉微沈者.膀胱邪干小腸也.
五藏各有剛柔邪.故令一輒變爲十也.

十難の訓読

(井上恵理先生の解説:経絡鍼療(422号)と本間祥白先生の解説、福島弘道先生の解説を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)

十難に曰く。
一脉十変をなすとは、何の謂(いい)そや。
然(しか)るなり。
五邪剛柔相い逢うの意なり。
仮令(かれい)
心の脉急甚は、肝の邪が心を干(おか)すなり。
心の脉微急は、胆の邪が小腸を干すなり。
心の脉大甚は、心の邪自から心を干すなり。
心の脉微大は、小腸の邪自が小腸を干すなり。
心の脉緩甚は、脾の邪が心を干すなり。
心の脉微大(緩)は、胃の邪が小腸を干すなり。
心の脉?(しょく)甚は、肺の邪が心を干すなり。
心の脉微?は、大腸の邪が小腸を干すなり。
心の脉沈甚は、腎の邪が心を干すなり。
心の脉微沈は、膀胱の邪が小腸を干すなり。
五臓に各々剛柔の邪あり。
故(ゆえ)に一脉をして輒(すなわ)ち変じて十をなさしむるなり。

 詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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 十難の解説

(井上恵理先生の解釈:経絡鍼療(422号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)

十難の解説をします。

六部定位診において、左右の寸・関・尺の脉部のうち、
五臓の部の一脉が十種類の変化をする。その理由を説明しなさい。

お答えします。

五邪が一脉の陰陽に入り「陰脉に剛甚」と「陽脉に柔微」それぞれを現わす意味です。

例えば、
左手寸口沈めて陰経「心脉」が弦にして甚だしい脉状は肝邪が心を冒したもの。
左手寸口浮かして陽経「小腸脉」が微かな弦脉を打つ時は胆の邪が小腸を冒したもの。
左手寸口沈めて陰経「心脉」が洪大にして甚だしい脉状は心邪が自らが心を冒したもの。
左手寸口浮かして陽経「小腸脉」が微かな洪大を打つ時は小腸が自らが小腸を冒したもの。
左手寸口沈めて陰経「心脉」が緩にして甚だしい脉状は脾邪が心を冒したもの。
左手寸口浮かして陽経「小腸脉」が微かな緩脉を打つ時は胃の邪が小腸を冒したもの。
左手寸口沈めて陰経「心脉」が?にして甚だしい脉状は肺邪が心を冒したもの。
左手寸口浮かして陽経「小腸脉」が微かな?脉を打つ時は大腸の邪が小腸を冒したもの。
左手寸口沈めて陰経「心脉」が沈重にして甚だしい脉状は腎邪が心を冒したもの。
左手寸口浮かして陽経「小腸脉」が微かな沈脉を打つ時は膀胱の邪が小腸を冒したもの。
五臓と五腑にそれぞれ「剛甚」と「柔微」の邪があります。
だから、一脉には陰陽の二たつの脉部があり、ここに五邪がそれぞれを冒すので十種類の脉状の邪を診るのです。

詳しくは各先生の文献を参照されたし。
 
--------------------------


    十難の詳細解説

(井上恵理先生の訓読・解釈:経絡鍼療(422号)と本間祥白先生の訓読・解釈、福島弘道先生の訓読・解釈を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)詳しくは各先生の文献を参照されたし。

山口一誠の考察により原文・訓読・解説(解説補足)の順に文章を構成します。

〔原文〕十難曰.
〔訓読〕十難に曰く。
〔解説〕十難の解説をします。

〔原文〕一脉爲十變者.何謂也.
〔訓読〕一脉十変をなすとは、何の謂(いい)そや。
〔解説〕六部定位診において、左右の寸・関・尺の脉部のうち、
    五臓の部の一脉が十種類の変化をする。その理由を説明しなさい。

〔解説補足1〕
六部定位診(ろくぶじょういしん)における五臓の脉位です。

示指の当たる部を寸口と言い、
左手側、沈めて陰経「心」浮かして陽経「小腸」を診る。
右手側、陰経「肺」、陽経「大腸」を診る。
中指の当たる部を関上と言い、
左手側、陰経「肝」、陽経「胆」を診る。
右手側、陰経「脾」、陽経「胃」を診る。
薬指の当たる部を尺中と言い、
左手側、陰経「腎」、陽経「膀胱」を診る。




〔解説補足2〕
「一脉、十変」の意味は、左手寸口、「心」と「小腸」を例にして論評しています。
すなわち、「心」に於ける五つの変化と「小腸」に於ける五つの変化を合わせて十変と言う訳です。
よつて、十変が各臓腑にありますので五十変の脉診がある事になりますね。

〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。

〔原文〕五邪剛柔相逢之意也.
〔訓読〕五邪剛柔相い逢うの意なり。
〔解説〕五邪が一脉の陰陽に入り「陰脉に剛甚」と「陽脉に柔微」それぞれを現わす意味です。

〔解説補足1〕
 五邪は十難では心の症状を例にして論評がなされているので次のようになります。
1,正邪とは心邪(傷暑)が心脉を冒すもの。「自経:自ら病む」
2,虚邪とは肝邪(中風)が心脉を冒すもの。「相生関係の母:後ろより来るもの」
3,実邪とは脾邪(飮食勞倦)が心脉を冒すもの。「相生関係の子:前より来るもの」
4,微邪とは肺邪(傷寒)が心脉を冒すもの。「相克関係の畏経:勝つ所より来るもの」
5、賊邪とは腎邪(中湿)が心脉を冒すもの。「相克関係の剋経:勝たざる所より来るも」

〔参考図表〕「難経五十難、心病と五邪の関係図表(nk502)」を参照されたし。

〔解説補足2〕「剛柔」とは、「剛甚」と「柔微」です。
「剛甚」脉の意味は、鉄の様に硬くて強くて甚(はなは)だしい脉かな。
「柔微」脉の意味は柔らかくわずかに打つ脉かな。

  
〔原文〕假令
〔訓読〕仮令(かれい)
〔解説〕例えば、

〔解説補足1〕
次項より心と小腸の脉状についての説明がされます。
理解を深めるために、井上恵理先生の解説より、まとめたものを述べますので参考にしてください。

※1、五臓の脉状について。 
肝の脉は弦。心の脉は鈎(コウ:かぎ)。脾の脉は緩。肺の脉は?(しょく)。腎の脉は沈。

※2、心の症状を例にして五邪と脉状について。
1,「鈎にして甚だしい脉状」は心邪自らが心を冒したもの。
2,「弦にして甚だしい脉状」は肝邪が心を冒したもの。
3,「緩にして甚だしい脉状」は脾邪が心を冒したもの。
4,「?にして甚だしい脉状」は肺邪が心を冒したもの。
5、「沈にして甚だしい脉状」は腎邪が心脉を冒すもの。

※3、心と小腸の脉の特徴と比較について。
脉が「甚(はなは)だしい」・「沈んでいる脉」・「急」・「大」は心の脉状です。
脉が「微(わず)かである」・「浮いている脉」・は小腸の脉状です。

※4、小腸に陽経の五邪が入った時の脉状について。
小腸に胆の邪が入った場合は「微にして弦。」「微弦」
小腸に小腸の邪が入った場合は「微にして鈎。」「微鈎」
小腸に胃の邪が入った場合は「微にして鈎。」「微緩」
小腸に大腸の邪が入った場合は「微にして鈎。」「微?」
小腸に膀胱の邪が入った場合は「微にして鈎。」「微沈」かな。

〔解説補足1〕本間祥白先生の解釈より纏め参考文。
「急」とは、弦脉の形で、引きつつている脉状。
「甚」とは、甚(はなは)だしい脉状で病重き臓病。
「微」とは、微笑の脉状で病軽き腑病。

〔原文〕心脉急甚者.肝邪干心也.
〔訓読〕心の脉急甚は、肝の邪が心を干(おか)すなり。
〔解説〕左手寸口沈めて陰経「心脉」が弦にして甚だしい脉状は肝邪が心を冒したもの。
〔解説補足〕
「心脉急甚」の脉状の病の伝変は、虚邪である。「相生関係の母(肝邪):後ろより来るもの」

〔原文〕心脉微急者.膽邪干小腸也.
〔訓読〕心の脉微急は、胆の邪が小腸を干すなり。
〔解説〕左手寸口浮かして陽経「小腸脉」が微かな弦脉を打つ時は胆の邪が小腸を冒したもの。

〔原文〕心脉大甚者.心邪自干心也.
〔訓読〕心の脉大甚は、心の邪自から心を干すなり。
〔解説〕左手寸口沈めて陰経「心脉」が洪大にして甚だしい脉状は心邪が自らが心を冒したもの。
〔解説補足〕「心脉大甚」の脉状の病の伝変は、正邪である。「自経(心邪):自ら病む。」

〔原文〕心脉微大者.小腸邪自干小腸也.
〔訓読〕心の脉微大は、小腸の邪自が小腸を干すなり。
〔解説〕左手寸口浮かして陽経「小腸脉」が微かな洪大を打つ時は小腸が自らが小腸を冒したもの。


〔原文〕心脉緩甚者.脾邪干心也.
〔訓読〕心の脉緩甚は、脾の邪が心を干すなり。
〔解説〕左手寸口沈めて陰経「心脉」が緩にして甚だしい脉状は脾邪が心を冒したもの。
〔解説補足〕
「心脉緩甚」の脉状の病の伝変は、実邪である。「相生関係の子(脾邪):前より来るもの」

〔原文〕心脉微大者.胃邪干小腸也.
〔訓読〕心の脉微大(緩)は、胃の邪が小腸を干すなり。
〔解説〕左手寸口浮かして陽経「小腸脉」が微かな緩脉を打つ時は胃の邪が小腸を冒したもの。

〔原文〕心脉?甚者.肺邪干心也.
〔訓読〕心の脉?(しょく)甚は、肺の邪が心を干すなり。
〔解説〕左手寸口沈めて陰経「心脉」が?にして甚だしい脉状は肺邪が心を冒したもの。
〔解説補足〕
「心脉?甚」の脉状の病の伝変は、微邪である。「相克関係の畏経(肺邪):勝つ所より来るもの」

〔原文〕心脉微?者.大腸邪干小腸也.
〔訓読〕心の脉微?は、大腸の邪が小腸を干すなり。
〔解説〕左手寸口浮かして陽経「小腸脉」が微かな?脉を打つ時は大腸の邪が小腸を冒したもの。

〔原文〕心脉沈甚者.腎邪干心也.
〔訓読〕心の脉沈甚は、腎の邪が心を干すなり。
〔解説〕左手寸口沈めて陰経「心脉」が沈重にして甚だしい脉状は腎邪が心を冒したもの。
〔解説補足〕
「心脉沈甚」の脉状の病の伝変は、賊邪である。「相克関係の剋経(腎邪):勝たざる所より来るも」

〔原文〕心脉微沈者.膀胱邪干小腸也.
〔訓読〕心の脉微沈は、膀胱の邪が小腸を干すなり。
〔解説〕左手寸口浮かして陽経「小腸脉」が微かな沈脉を打つ時は膀胱の邪が小腸を冒したもの。

〔原文〕五藏各有剛柔邪.
〔訓読〕五臓に各々剛柔の邪あり。
〔解説〕五臓と五腑にそれぞれ「剛甚」と「柔微」の邪があります。

〔原文〕故令一輒變爲十也.
〔訓読〕故(ゆえ)に一脉をして輒(すなわ)ち変じて十をなさしむるなり。
〔解説〕だから、一脉には陰陽の二たつの脉部があり、
    ここに五邪がそれぞれを冒すので十種類の脉状の邪を診るのです。



今日も何とか十難をあっプです。

2014.3.29.




 

Posted by やまちゃん at 14:08 | Comments(0) | 難経 ブログ勉強会 

五十一難は「陰症の病」と「陽症の病」の法則です。

2014年03月27日

  
  難経 第五十一難

ゆっくり堂の『難経ポイント』  第五十一難   ank051

  
※ 五十一難のポイント其の一は、

五一難は「陰症の病」と「陽症の病」の法則です。

※ 五十一難のポイント其の二、腑病は陽性である。臓病は陰性である。

※ 五十一難のポイント其の三は、〔五十一難の参考図表を作りました。〕


詳しくはこちらのHPもご覧ください。
http://you-sinkyu.ddo.jp/an1.html

「五一難:臓腑の「陰症の病」と「陽症の病」の法則表(nk5101)」を参照されたし。





難経 第五十一難 原文

(『難経』原本は底本:『難経』江戸・多紀元胤著、『黄帝八十一難経疏証』(国立国会図書館所蔵139函65号)オリエント出版、難経古注集成5(1982年)に影印)を参考にしています。

五十一難曰.
病有欲得温者.有欲得寒者.
有欲得見人者.有不欲得見人者.
而各不同.
病在何藏府也.

然.
病欲得寒.而欲見人者.病在府也.
病欲得温.而不欲得見人者.病在藏也.

何以言之.
府者陽也.陽病欲得寒.又欲見人.
藏者陰也.陰病欲得温.又欲閉戸獨處.惡聞人聲.

故以別知藏府之病也.

--------------------------

 五十一難の訓読

(井上恵理先生の解説:経絡鍼療(458号)と本間祥白先生の解説、福島弘道先生の解説を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)

五十一難に曰く。
病に温を得んと欲くするものあり、寒を得んと欲くするものあり、
人を見るを得んと欲するものあり、人を見るを得んと欲せざるものあり、
而(しか)して各々同じからず、
病は何れの蔵腑のあるや。

然(しか)るなり。
病寒を得るを欲して、而して人を見るを得んと欲する者は、腑病にあり、
病温を得るを欲して、而して人を見るを得んと欲せざる者は、臓病にあるなり。
何を以って之を言う。
府は陽なり、陽病は寒を得るを欲し、また人を見るを欲す。
臓は陰なり、陰病は温を得るを欲し、また戸を閉じて独り處(お)るを欲し、人の声を聞く事を悪(にく)む。

故に以って臓腑の病を別ち知るなり。


 詳しくは各先生の文献を参照されたし。

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   五十一難の解説

(井上恵理先生の解釈:経絡鍼療(458号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)

五十一難の解説をします。

病気の人で、温かいものを好む者と冷たいものを好む者とがある。
また、人に会いたがる者と会いたがらない者とがある。
どうして、それぞれが同じではない。(反対の反応をしている。)
この病気は何れの蔵腑に問題があるのか説明しなさい。

お答えいたします。

冷たい飲食物を好み、冷房を好む、薄着を好む、そしてやたらと人恋しく人に会いたがる者、
これは病気の性質が腑病にある。「陽症の病」であると。
温かい事を好み、人に会いたがらない、部屋にこもっている様な者、
これは病気の性質が臓病にある。「陰症の病」であると。

これはどの様な理由かと言えば、
腑病は陽性である。陽病は冷たい物や寒い物を欲しがり、また人に会いたがる。
臓病は陰性である。陰病は温かいもの・温かい部屋を好む。そして部屋に閉じこもって人と会うこと人と話すこと事態を嫌がる。(引きこもり現象の人ですね。)

だから、「腑病の陽性」と「臓病は陰性」の性質を理解して臓腑の病を区別して対応しなさいと。


詳しくは各先生の文献を参照されたし。

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   五十一難の詳細解説

(井上恵理先生の訓読・解釈:経絡鍼療(458号)と本間祥白先生の訓読・解釈、福島弘道先生の訓読・解釈を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)詳しくは各先生の文献を参照されたし。

山口一誠の考察により原文・訓読・解説(解説補足)の順に文章を構成します。

〔原文〕
五十一難曰.
病有欲得温者.有欲得寒者.
有欲得見人者.有不欲得見人者.
而各不同.
病在何藏府也.

〔訓読〕
五十一難に曰く。
病に温を得んと欲くするものあり、寒を得んと欲くするものあり、
人を見るを得んと欲するものあり、人を見るを得んと欲せざるものあり、
而(しか)して各々同じからず、
病は何れの蔵腑のあるや。

〔解説〕
五十一難の解説をします。
病気の人で、温かいものを好む者と冷たいものを好む者とがある。
また、人に会いたがる者と会いたがらない者とがある。
どうして、それぞれが同じではない。(反対の反応をしている。)
この病気は何れの蔵腑に問題があるのか説明しなさい。

〔原文〕
然.
病欲得寒.而欲見人者.病在府也.
病欲得温.而不欲得見人者.病在藏也.

〔訓読〕
然(しか)るなり。
病寒を得るを欲して、而して人を見るを得んと欲する者は、腑病にあり、
病温を得るを欲して、而して人を見るを得んと欲せざる者は、臓病にあるなり。

〔解説〕
お答えいたします。
冷たい飲食物を好み、冷房を好む、薄着を好む、そしてやたらと人恋しく人に会いたがる者、
これは病気の性質が腑病にある。「陽症の病」であると。
温かい事を好み、人に会いたがらない、部屋にこもっている様な者、
これは病気の性質が臓病にある。「陰症の病」であると。


〔原文〕
何以言之.
府者陽也.陽病欲得寒.又欲見人.

〔訓読〕
何を以って之を言う。
府は陽なり、陽病は寒を得るを欲し、また人を見るを欲す。

〔解説〕
どの様な理由かと言えば、
腑と言うものは陽性である。陽病は冷たい物や寒い物を欲しがり、また人に会いたがる。

〔原文〕
藏者陰也.陰病欲得温.又欲閉戸獨處.惡聞人聲.

〔訓読〕
臓は陰なり、陰病は温を得るを欲し、また戸を閉じて独り處(お)るを欲し、人の声を聞く事を悪(にく)む。

〔解説〕
臓病は陰性である。陰病は温かいもの・温かい部屋を好む。そして部屋に閉じこもって人と会うこと人と話すこと事態を嫌がる。(引きこもり現象の人ですね。)

〔原文〕故以別知藏府之病也.

〔訓読〕故に以って臓腑の病を別ち知るなり。

〔解説〕
だから、「腑病の陽性」と「臓病は陰性」の性質を理解して臓腑の病を区別して対応しなさいと。


〔解説補足1〕
患者のお宅に往診に行った場合で、やたらと見舞客の人の出入りが多い、外は暑くないのに冷房をかけ、薄着でいたい。布団が重いと愚痴を言う。寂しがり屋で枕元に年中人を呼びつける。これは、病気の性質が腑病にある。「陽症の病」である。

〔解説補足2〕
一方、たいして寒くもないのに暖房をかけて、そして部屋に閉じこもってジッと固まって人と会うこと話すことを嫌がる。これは、病気の性質が臓病にある。「陰症の病」である。


今日も何とか五一難をアップしました。

きっといつかは関係ポイント81難全てをアップできるでしょう。

鍼灸施術をされる方の臨床に役立つことを願いつつ。。。


2014.3.27.









 

Posted by やまちゃん at 11:58 | Comments(0) | 難経 ブログ勉強会 

五十難のポイント「賊邪」は非常に悪性です。

2014年03月25日

  難経 第五十難

ゆっくり堂の『難経ポイント』  第五十難   ank050

  
※ 五十難のポイント其の一は、

五臓に病が入った時の病症の名前として、

虚邪、実邪、賊邪、微邪、正邪があります。


※ 五十難のポイント其の二は、

相剋経の「賊邪」はこの中で一番悪い。非常に悪性です。


※ 五十難のポイント其の三は、

五十難の図表を作りました。ご覧ください。

難経五十難、脾病と五邪の関係図表(nk503)

のサンプルを表示します。




  難経五十難、虚邪・実邪・賊邪・微邪・正邪の図表(nk501)
  難経五十難、心病と五邪の関係図表(nk502)
  難経五十難、脾病と五邪の関係図表(nk503)
  難経五十難、肺病と五邪の関係図表(nk504)

詳しくはこちらのHPをごらんください。

http://you-sinkyu.ddo.jp/ank050.html


難経 第難 原文

(『難経』原本は底本:『難経』江戸・多紀元胤著、『黄帝八十一難経疏証』(国立国会図書館所蔵139函65号)オリエント出版、難経古注集成5(1982年)に影印)を参考しています。

五十難曰.

病有虚邪.有實邪.有賊邪.有微邪.有正邪.
何以別之.

然.
從後來者.爲虚邪.
從前來者.爲實邪.
從所不勝來者.爲賊邪.
從所勝來者.爲微邪.
自病者.爲正邪.

何以言之.
假令心病.
中風得之.爲虚邪.
傷暑得之.爲正邪.
飮食勞倦得之.爲實邪.
傷寒得之.爲微邪.
中濕得之.爲賊邪.


五十難の訓読

(井上恵理先生の解説:経絡鍼療(458号)と本間祥白先生の解説、福島弘道先生の解説を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)

五十難に曰く。

病に虚邪あり、実邪あり、賊邪あり、微邪あり、正邪あり、
何を以って之(これ)を別(わか)たん。

然(しか)るなり。
後ろより来(きた)るものを虚邪となし、
前より来るものを実邪となし、
勝たざる所より来るものを賊邪となし、
勝つ所より来るものを微邪となし、
自ら病むものを正邪となす。

何を以って之を言えば、
仮令(たと)えば心病、
中風より之を得(う)るを虚邪となし、
傷暑より之を得るを正邪となし、
飮食勞倦より之を得るを実邪となし、
傷寒より之を得るを微邪となし、
中湿より之を得るを賊邪となる。

 詳しくは各先生の文献を参照されたし。


   五十難の解説

(井上恵理先生の解釈:経絡鍼療(458号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)

四十八難の解説をします。

五臓に病が入った時の病症の名前として、虚邪、実邪、賊邪、微邪、正邪があります。
これらの病気の内容を整理区別して理解しやすい様に説明しなさい。

お答えします。
「後ろより来るもの」とは、相生関係で「母から入った病症名」を虚邪と言います。
「前より来るもの」とは、相生関係で「子から入った病症名」を実邪と言います。
「勝たざる所より来るも」とは、相剋関係で「剋経から入った病症名」を賊邪と言います。
「勝つ所より来るもの」とは、相剋関係で「畏経から入った病症名」を微邪と言います。
「自ら病むもの」とは、自分自身の経が内部から病気を起こす病症名を正邪と言います。

〔参考図表〕「難経五十難、虚邪・実邪・賊邪・微邪・正邪の図表(nk501)」を参照されたし。

五邪と五十難の「虚・実・賊・微・正」邪の関係について述べます。
例えとして、心病(心を患(わずら)っている。)を取り上げて説明をします。
中風(肝邪)が心に入ったのだから、これを虚邪が入ったと言うのだと。「母:後ろより来るもの」
傷暑(心邪)が心に入ったのだから、これを正邪と言うのだと。「自経:自ら病むもの」
飮食勞倦(脾邪)が心に入ったのだから、これを実邪と言うのだと。「子:前より来るもの」
傷寒(肺邪)が心に入ったのだから、これを微邪と言うのだと。「畏経:勝つ所より来るもの」
中湿(腎邪)が心に入ったのだから、これを賊邪と言うのだと。「剋経:勝たざる所より来るも」

〔参考図表〕「難経五十難、心病と五邪の関係図表(nk502)」を参照されたし。


詳しくは各先生の文献を参照されたし。


  五十難の詳細解説

(井上恵理先生の訓読・解釈:経絡鍼療(458号)と本間祥白先生の訓読・解釈、福島弘道先生の訓読・解釈を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)詳しくは各先生の文献を参照されたし。

山口一誠の考察により原文・訓読・解説(解説補足)の順に文章を構成します。

〔原文〕
五十難曰.
病有虚邪.有實邪.有賊邪.有微邪.有正邪.何以別之.

〔訓読〕
五十難に曰く。
病に虚邪あり、実邪あり、賊邪あり、微邪あり、正邪あり、何を以って之(これ)を別(わか)たん。

〔解説〕
五十難の解説をします。
五臓に病が入った時の病症の名前として、虚邪、実邪、賊邪、微邪、正邪があります。
これらの病気の内容を整理区別して理解しやすい様に説明しなさい。

〔解説補足1〕ここでの邪は五臓に病が入った時の病症の名前と考えます。

〔解説補足2〕「虚・実・賊・微・正」邪の凶悪度について。
      一番悪いのが「賊邪」です。相剋関係において自分が抑えられている所からなお一層、そこの邪によって抑えられる。相克関係は健康な自然の気そのものが抑えられている状態にも関わらず。なお邪に抑えられる。「賊邪」はこの中で一番悪い非常に悪性です。
五十三難のポイントでは、病にの伝わり方で「七伝の相剋関係」に伝わるは悪い(死ぬ)。
五四難のポイントでは、病の証が相剋に伝わるものは治り難(がた)い。などの論述があります。
病気が経を変える「病の伝変」には伝変の仕方によって非常に危険な伝変と治り良い伝変があります
「賊邪」は「七伝の相剋関係」に通じます。
「微邪」は、相剋関係において自分が抑える:勝つ所から来る邪です。だから抑える力と邪の力が相殺されて「微かに」来る邪と言う事です。

〔第五十難での言葉の意味〕
相剋とは、五行論では二者が一方の相手に勝つ関係あるいは、抑える関係にあること。
例えば木と土の関係では、木剋土と現わし、木が土を抑える(勝つ)関係になります。
※五行論は三理論より「相生関係・相剋関係・相剋調和」HPを参照されたし。
http://you-sinkyu.ddo.jp/c203.html

〔原文〕
然.
從後來者.爲虚邪.從前來者.爲實邪.從所不勝來者.爲賊邪.從所勝來者.爲微邪.
自病者.爲正邪.

〔訓読〕
然(しか)るなり。
後ろより来(きた)るものを虚邪となし、前より来るものを実邪となし、勝たざる所より来るものを賊邪となし、勝つ所より来るものを微邪となし、自ら病むものを正邪となす。

〔解説〕
お答えします。
「後ろより来るもの」とは、相生関係で「母から入った病症名」を虚邪と言います。
「前より来るもの」とは、相生関係で「子から入った病症名」を実邪と言います。
「勝たざる所より来るも」とは、相剋関係で「剋経から入った病症名」を賊邪と言います。
「勝つ所より来るもの」とは、相剋関係で「畏経から入った病症名」を微邪と言います。
「自ら病むもの」とは、自分自身の経が内部から病気を起こす病症名を正邪と言います。

〔解説補足〕この条項は五行の相生(そうしょう)の母子関係と相剋(そうこく)から考察しますね。
〔参考図表〕「難経五十難、虚邪・実邪・賊邪・微邪・正邪の図表(nk501)」を参照されたし。


〔原文〕
何以言之.
假令心病.
中風得之.爲虚邪.
傷暑得之.爲正邪.
飮食勞倦得之.爲實邪.
傷寒得之.爲微邪.
中濕得之.爲賊邪.

〔訓読〕

何を以って之を言えば、
仮令(たと)えば心病、
中風より之を得(う)るを虚邪となし、
傷暑より之を得るを正邪となし、
飮食勞倦より之を得るを実邪となし、
傷寒より之を得るを微邪となし、
中湿より之を得るを賊邪となる。

〔解説〕

五邪と五十難の「虚・実・賊・微・正」邪の関係について述べます。
例えとして、心病(心を患(わずら)っている。)を取り上げて説明をします。
中風(肝邪)が心に入ったのだから、これを虚邪が入ったと言うのだと。「母:後ろより来るもの」
傷暑(心邪)が心に入ったのだから、これを正邪と言うのだと。「自経:自ら病むもの」
飮食勞倦(脾邪)が心に入ったのだから、これを実邪と言うのだと。「子:前より来るもの」
傷寒(肺邪)が心に入ったのだから、これを微邪と言うのだと。「畏経:勝つ所より来るもの」
中湿(腎邪)が心に入ったのだから、これを賊邪と言うのだと。「剋経:勝たざる所より来るも」

〔参考図表〕「難経五十難、心病と五邪の関係図表(nk502)」を参照されたし。

〔解説補足〕四十九難のポイント其の二より、 五邪とは。
1、中風(肝邪)2、傷暑(心邪)3、飮食勞倦(脾邪)4、傷寒(肺邪)5、中湿(腎邪)です。
〔解説参考HP〕 http://you-sinkyu.ddo.jp/an049.html をご参照されたし。

〔解説補足〕井上恵理先生の解釈:経絡鍼療(458号)より。
       難経五十難はk肝心脾肺腎の五臓の病に全てあります。

〔解説補足〕四十九難のポイント其の二より、 五邪とは。
1、中風(肝邪)2、傷暑(心邪)3、飮食勞倦(脾邪)4、傷寒(肺邪)5、中湿(腎邪)です。

〔解説参考例〕井上恵理先生の解釈:経絡鍼療(458号)より。
       難経五十難は肝心脾肺腎の五臓の病に全てあります。

「脾の病」に例をとれば、

〔参考図表〕「難経五十難、脾病と五邪の関係図表(nk503)」を参照されたし。

〔解説参考例補足、1-1〕飮食勞倦(脾邪)が脾自身に入ればこれを正邪と言います。
          「自経:自ら病む正邪です。」正邪は自経の病で治りやすい訳です。

〔解説参考例補足、1-2〕傷暑(心邪)が脾に入ればこれを虚邪と言います。
          「母:後ろより来る虚邪です。」
          傷暑(心邪)、「虚邪」の病状は暑さにあてられて嘔吐し頭痛し発熱します。
      その脈波非常に緩慢(かんまん:ゆるやかで締まりがない)で遅い脉になっています。
      つまり、日射病(熱中症)ですね。この場合は「虚邪」です。
邪が入ったのにも関わらず脈が虚して来る。この時の治療法は邪でありながら補法でこれを取る。

〔解説参考例補足、1-3〕傷寒(肺邪)が脾に入ると実邪です。「子:前より来る実邪です。」
          この時の治療法は瀉法でこれを取る。

〔解説参考例補足、1-4〕中風(肝邪)が脾に入ると賊邪です。「剋経:勝たざる所より来る賊邪です。」
         中風(肝邪)が脾に入った「賊邪の病状」は半身不随が甚だしくなります。

〔解説参考例補足、1-5〕中湿(腎邪)が脾に入る微邪です。「畏経:勝つ所より来る微邪です。」
             脾土には入りにくい邪ですね。


「肺の病」に例をとれば、
肺金の症状があるときに、
飮食勞倦(脾邪)が肺に入ればこれをこれを虚邪と言います。 「母:後ろより来る虚邪です。
中湿(腎邪)が肺に入れば実邪です。「子:前より来る実邪です。」
傷暑(心邪)が肺に入れば賊邪です。「剋経:勝たざる所より来る賊邪です。」

中風(肝邪)が肺に入れば微邪です。「畏経:勝つ所より来る微邪です。」
傷寒(肺邪)が肺に入れば自身に入ればこれを正邪と言います。「自経:自ら病む正邪です。」

〔参考図表〕「難経五十難、肺病と五邪の関係図表(nk504)」を参照されたし。

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井上恵理先生の教え。

難経五十難の五邪の伝変から考察すると、風邪を引いた病症でも、補法と瀉法で治療する時がある。
ただ「邪が入ったから瀉せばいいんだ。」と考えるべきじゃない。― 
病因と言うものは内因があって初めて外邪が入る様に出来ている。何か内に不調和がない限り風邪は引くものじゃないですね。素因あるいは内因が必ずあるはずです。
そこで私たち(経絡鍼灸家)は「内因がなければ外邪は入らない。」と言う定義(経絡鍼灸の法則)を立てた訳です。
だから現在の病状、熱がある・頭が痛いと言う時に治療をすると、熱や頭痛は解消するが、なお身体にはまだ治療するべき根本的な内因が残らなくちゃならない。
だから内因の事を考えると完全治癒と言う事はない訳です。
そう言う風に考えて初めて広義な、広い意味での病気と言うものを観察しなくちゃいけないですね。


2014.3.25.



今日も何とか難経五十難をアップしました。




 

Posted by やまちゃん at 19:02 | Comments(0) | 難経 ブログ勉強会 

難経ポイント 第四十九難 

2014年03月21日

  
  難経 第四十九難

ゆっくり堂の『難経ポイント』  第四十九難   ank049

  
※ 四十九難のポイント其の一は、

  正経自(みず)から病(やむ)ことあり、五邪に傷(やぶ)るる所あり。


※ 四十九難のポイント其の二は、五邪とは、

1、中風(肝邪)2、傷暑(心邪)3、飮食勞倦(脾邪)4、傷寒(肺邪)5、中湿(腎邪)です。


※ 四十九難のポイント其の三は、

五邪が入った時の症状、表 を作りました。

詳しくはこちらのHPをご覧ください。

http://you-sinkyu.ddo.jp/an049.html

心経に五邪が入った時の症状、表をサンプリングしますね。




難経 第四十九難 原文

(『難経』原本は底本:『難経』江戸・多紀元胤著、『黄帝八十一難経疏証』
(国立国会図書館所蔵139函65号)オリエント出版、難経古注集成5(1982年)に影印)を参考しています。

四十九難曰.
有正經自病.有五邪所傷.何以別之.
然.
經言.憂愁思慮則傷心.形寒飮冷則傷肺.恚怒氣逆.上而不下.則傷肝.飮食勞倦.則傷脾.
久坐濕地.強力入水.則傷腎.是正經之自病也.

何謂五邪.
然.
有中風.有傷暑.有飮食勞倦.有傷寒.有中濕.此之謂五邪.

假令心病.何以知中風得之.
然.
其色當赤.何以言之.肝主色.自入爲青.入心爲赤.入脾爲黄.入肺爲白.入腎爲黒.
肝爲心邪.故知當赤色也.其病身熱.脇下滿痛.其脉浮大而弦.

何以知傷暑得之.
然.
當惡臭.何以言之.心主臭.自入爲焦臭.入脾爲香臭.入肝爲?臭.入腎爲腐臭.入肺爲腥臭.
故知心病傷暑得之也.當惡臭.其病身熱而煩.心痛.其脉浮大而散.

何以知飮食勞倦得之.
然.
當喜苦味也.虚爲不欲食.實爲欲食.何以言之.脾主味.入肝爲酸.入心爲苦.入肺爲辛.入腎爲鹹.自入爲甘.故知脾邪入心.爲喜苦味也.其病身熱.而體重嗜臥.四肢不收.其脉浮大而緩.

何以知傷寒得之.
然.
當譫言妄語.何以言之.肺主聲.入肝爲呼.入心爲言.入脾爲歌.入腎爲呻.自入爲哭.故知肺邪入心.爲譫言妄語也.其病身熱.洒洒惡寒.甚則喘seki.其脉浮大而syoku.

何以知中濕得之.
然.
當喜汗出不可止.何以言之.腎主液.入肝爲泣.入心爲汗.入脾爲涎.入肺爲涕.自入爲唾.
故知腎邪入心.爲汗出不可止也.其病身熱.而小腹痛.足脛寒而逆.其脉沈濡而大.
此五邪之法也.

  四十九難の訓読

(井上恵理先生の解説:経絡鍼療(456号)と本間祥白先生の解説、福島弘道先生の解説を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)

 四十九難に曰く。

正経自(みず)から病(やむ)ことあり、五邪に傷(やぶ)るる所あり。
何を以って之(これ)を別(わか)たん。.
然(しか)るなり。
経に言う。 
憂愁思慮すれば心を傷(やぶ)る。
形寒(ひ)え冷飲すれば肺を傷る。
恚怒(しんど)して氣逆上し、下らざれば肝を傷る。
飲食労倦すれば脾を傷る。
久しく湿地に坐し、強力して水に入れば、腎を傷る。
是れ正経の自病なり。

何をか五邪と謂うや。然(しか)るなり。
中風(肝邪)あり、傷暑(心邪)あり、飮食勞倦(脾邪)あり、傷寒(肺邪)あり、中湿(腎邪)ある。此れを五邪と謂う。

仮令(たとえば)心病何を以って中風(肝邪)に之を得(う)ることを知らん。.
然(しか)るなり。
其(そ)の色当(まさ)に赤なるべし、何を以って之(これ)を言うべし、
肝は色を主(つかさど)る。
自から肝に入れば青をなし、
心に入れば赤をなし、
脾に入れば黄をなし、
肺に入れば白をなし、
腎に入れば黒をなす。
肝は心の邪をなす。故に知らん当に赤色なるべし。
其の病は身熱し、脇の下が満(みち)ち痛み、
其の脉は浮大にして弦なり。

(心に入る)何を以ってか傷暑(心邪)に之を得ることを知らん。  
然(しか)るなり。
当(まさ)に臭(におい)を惡(にく)むべし、何を以って之を言う。
心は臭を主る。
自ら心に入れば焦臭(こげくさし)となり、
脾に入れば香臭(かんばし)となり、
肝に入れば臊臭(あぶらくさし)となり、
腎に入れば腐臭(くされくさし)となり、
肺に入れば腥臭(なまぐさし)となる。
故に知らんぬ心病に傷暑之を得れば当に臭を惡むべし。
其の病、身熱して煩しく、心痛する。
其の脉は浮大にして散。

(心に入る)何を以ってか飮食勞倦(脾邪)より之を得るを知らん。
然るなり。
當に苦味を喜(この)むなり。
虚するときには食を欲せず、実するときには食を欲することをなす。
何を以って之を言う、脾は味を主る。
肝に入りては酸(すっぱい)となり、
心に入りては苦(にがい)となり、 
肺に入りては辛(ピリからい)となり、 
腎に入りては鹹(塩からい)となり、 
自ら脾に入りては甘きことをなす。 
故に知らんぬ、脾邪心に入りて、苦味を喜むことをなすなり。其の病、身熱して體(からだ)重く臥すことを嗜み、四肢收らず、其の脉は浮大にして緩なり。

(心に入る)何を以ってか傷寒(肺邪)より之を得るを知らん。
然るなり。
当に譫言(たんげん)妄語すべし、何を以って之を言う。
肺は声を主る。
肝に入りては呼(よぶ)ことをなし、
心に入りては言う(つぶやく)ことをなし、
脾に入りては歌うことをなし、
腎に入りては呻く(うめ)ことをなし、
自ら肺に入りては哭く(大声でなく)ことをなし、
故に知らんぬ、肺の邪心に入りては譫言妄語をなすことを。
その心の病、身熱して洒洒(しゃあしゃあ)として悪寒し、甚(はなはだ)しきは喘欬す。
その時の心の病の脉浮大にして濇(しょく)なり。

(心に入る)何を以ってか中湿(腎邪)より之を得るを知らん。
然るなり。
当に汗出で、止(や)まざるべし。何を以って之を言う。
腎は湿を主る。
肝に入りては泣(なみだ)をなし、
心に入りては汗(あせ)をなし、
脾に入りては涎(よだれ)をなし、
肺に入りては涕(鼻汁)をなし、
自ら腎に入りては唾(つばき)をなす。
故に知らんぬ、腎の邪、心に入りては汗をなし、汗出でやむべからず。
その心の病、身熱して小腹痛み、足脛(すね)寒(ひ)え逆す。
その脉、沈濡にして大なり。

此れ五邪の法なり。

 詳しくは各先生の文献を参照されたし。

 四十九難の解説

(井上恵理先生の解釈:経絡鍼療(456号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)

 四十九難の解説をします。

自分自身の経が内部(内因)から病気を起こすことがある。
また、5つの外邪に犯されて病気を起こすことがある。
これらの病気の発病内容を整理区分して理解しやすい様に説明しなさい。
お答えします。
陰陽五行理論から考察すると。
憂え悲しむ事や思い過ごしの精神的疲れから「心の病」を発症します。
寒い思いをしたり、冷たい物を飲んだりすると「肺の病」を発症します。
いきどうり怒り狂い腹を立て上気して気が下がらないと「肝の病」を発症します。
飲過ぎ、食べ過ぎ、働き過ぎ、遊び過ぎ、房事過多すれば、「脾の病」を発症します。
湿気の多いところに長時間とどまったり、水の中での重労働をすれば、体が冷えて「腎の病」を発症します。これ等が五臓の経において自分自身の経に病が起きる理由です。

五邪とはどの様なものか説明しなさい。
お答えします。
風に中(あた)ると言う邪がある(肝邪)。
暑さに傷(やぶ)れる事がある(心邪)。
飲食の過不足、働き過ぎ、遊び過ぎ、房事過多で心身が疲れる事がある(脾邪)。
寒に傷れる事がある(肺邪)。
湿気に中る事がある(腎邪)。
此れを五邪と言います。

例えば、心に中風の邪が中(あた)った場合は、どうしてこれを知る事が出来るのか説明しなさい。
お答えします。 身体や顔の色が赤色になります。 
それはどのような理由かと言うと、中風の邪は肝木の邪であり、
肝の性質として色を主(つかさど)るからです。
肝自からに入れば青色をなし、心に入れば赤色をなす訳です。また脾に入れば黄色をなし、
肺に入れば白色をなし、腎に入れば黒色をなす訳です。
だから、肝邪である中風の邪が心を犯したが故に赤色になる訳です。
そして、この時の心の病状は、肌色が赤くなり、身体に熱が出て、脇の下が張り痛みます。
また、このときの脉状は浮大にして弦の脈になっています。

暑さに傷れる病状(心の邪)とは如何なるものか説明しなさい。 
お答えします。
臭いを嫌がります。その理由はどうゆう事かと言えば。
心の性質として臭いを主(つかさど)るからです。
この傷暑(心の邪)が自ら心に入れば焦(こげ)臭(にお)いを嫌がり、
脾に入れば香(こうばしい)臭いを嫌がり、
肝に入れば臊(あぶら:若木の皮を剥いだ時に出る)臭いを嫌がり、
腎に入れば腐(くされ)臭いを嫌がり、
肺に入れば腥(生くさい)臭いを嫌がります。
以上のような理由で、心に傷暑の邪を受ければ焦臭を嫌うのです。
そして、傷暑に侵された「心の病」の症状は身体が熱して胸苦しく痛むのです。
また、傷暑に侵された其の脉は浮大にして散脉を打ちます。

心に飲食労倦の邪(脾の邪)が入った時には何を以って知るか説明しなさい。
お答えします。
心に飲食労倦の邪(脾の邪)が入った証拠は苦味(にがみ)を好む様になる。
食欲には虚実があり、虚している時には「食を欲せず」、実する時には「食を欲する」。
「脾は味を主る」ので、飲食労倦は「脾の邪」である。
肝に入ると酸となり、実する時には酸味を好み、虚する時には酸味を嫌う。
心に入ると苦となり、実する時には苦味を好み、虚する時には苦味を嫌う。
肺に入ると辛となり、実する時には辛味を好み、虚する時には辛味を嫌う。 
腎に入ると鹹となり、実する時には鹹味を好み、虚する時には鹹味を嫌う。  
自ら脾に入ると甘なり、実する時には甘味を好み、虚する時には甘味を嫌う。  
だから、知る事が出来る。脾の邪が心に入って、苦味を好むと言う事だと。
その病は、身体が熱して重くなり、寝る事・横になる事が好きになる。また、手足がだるくなり置き場に困る。そして、その脉は浮大にして緩であると。

心に傷寒の邪(肺の邪)が入った時には何を以って知るか説明しなさい。
お答えします。
心に傷寒の邪(肺の邪)が入った証拠は「譫言妄語」のうわ言や意味不明の事を喋りだす様になる。
「肺は声を主る。」ので、譫言妄語は「傷寒の邪=肺の邪」である。
この「傷寒の邪=肺の邪」が肝に入ると、むやみに声を立てて呼び叫ぶ様になる。
心に入ると、うわ言や意味不明の事を喋りだす様になる。
脾に入ると、歌を歌いだす。 鼻歌ルンルンのときは脾の変動かな。
腎に入ると、呻く様になる。
自ら肺に入ると、大声で哭く様になる。
だから、「譫言妄語」を喋りだすと、「傷寒の邪=肺の邪」が心に入ってたと診断できます。
この時の心の病の症状は、身体が熱して、ゾクゾクして悪寒し、甚しい場合は喘欬します。
その時の脉は浮大にして濇の脉をう打ちます。

〔第四九難での言葉の意味〕
譫言(たんげん)とは「うわ言」の意味。 
妄語とは、たわ言:下らない事を喋る。 
洒洒(しゃあしゃあ)よは身体がゾクゾクするさま。

心に中湿の邪(腎の邪)が入った時には何を以って知るか説明しなさい。
お答えします。
心に中湿の邪(腎の邪)が入った証拠は汗が出でて止まらない症状になります。
「腎は湿を主る。」ので、「中湿の邪=腎の邪」である。
「中湿の邪=腎の邪」が肝に入りては泣(なみだ)が出る。
心に入りては汗(あせ)が出る。
脾に入りては涎(よだれ)が出る。
肺に入りては涕(鼻汁)が出る。
自ら腎に入りては唾(つばき)が出る。
故に腎の邪が心に入ると汗が出でていつまでも止まらない。
その心病の症状は、身体が熱して小腹(下腹)が痛む。足の脛(すね)が冷えて逆気する。
その脉、沈濡にして大である。

これが五邪の法則であると。

詳しくは各先生の文献を参照されたし。

  四十九難の詳細解説

(井上恵理先生の訓読・解釈:経絡鍼療(456号)と本間祥白先生の訓読・解釈、福島弘道先生の訓読・解釈を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)詳しくは各先生の文献を参照されたし。

山口一誠の考察により原文・訓読・解説(解説補足)の順に文章を構成します。

〔原文〕
 四十九難曰.
有正經自病.有五邪所傷.何以別之.
然.
經言.憂愁思慮則傷心.形寒飮冷則傷肺.恚怒氣逆.上而不下.則傷肝.飮食勞倦.則傷脾.
久坐濕地.強力入水.則傷腎.是正經之自病也.

〔訓読〕

 四十九難に曰く。
正経自(みず)から病(やむ)ことあり、五邪に傷(やぶ)るる所あり。
何を以って之(これ)を別(わか)たん。.
然(しか)るなり。
経に言う。 憂愁思慮すれば心を傷(やぶ)る。形寒(ひ)え冷飲すれば肺を傷る。恚怒(しんど)して氣逆上し、下らざれば肝を傷る。飲食労倦すれば脾を傷る。久しく湿地に坐し、強力して水に入れば、腎を傷る。是れ正経の自病なり。

〔解説〕

 四十九難の解説をします。
自分自身の経が内部(内因)から病気を起こすことがある。また、5つの外邪に犯されて病気を起こすことがある。
これらの病気の発病内容を整理区分して理解しやすい様に説明しなさい。
お答えします。
陰陽五行理論から考察すると。
憂え悲しむ事や思い過ごしの精神的疲れから「心の病」を発症する。
寒い思いをしたり、冷たい物を飲んだりすると「肺の病」を発症する。
いきどうり怒り狂い腹を立て上気して気が下がらないと「肝の病」を発症する。
飲過ぎ、食べ過ぎ、働き過ぎ、遊び過ぎ、房事過多すれば、「脾の病」を発症する。
湿気の多いところに長時間とどまったり、水の中での重労働をすれば、体が冷えて「腎の病」を発症する。これ等が五臓の経において自分自身の経に病が起きる理由です。

〔解説補足1〕「有正經自病」とは、五臓の経において自分自身の経に病が起きる意味です。
      心の病なら心のみ、肝なら肝のみの病気についての論評ですと。
〔解説補足2〕恚怒(しんど)とは、カッカツと無我夢中で怒り腹を立て上気して気が下がらない事。
      恚怒(しんど)とは、いきどうり怒る事。

〔原文〕
何謂五邪.然.有中風.有傷暑.有飮食勞倦.有傷寒.有中濕.此之謂五邪.
〔訓読〕
何をか五邪と謂うや。 然(しか)るなり。
中風あり、傷暑あり、飮食勞倦あり、傷寒あり、中湿あり、此れを五邪と謂う。
〔解説〕
五邪とはどの様なものか説明しなさい。 お答えします。
風に中(あた)ると言う邪がある。暑さに傷(やぶ)れる事がある。飲食の過不足、働き過ぎ、遊び過ぎ、房事過多で心身が疲れる事がある。寒に傷(やぶ)れる事がある。湿気に中る事がある。
此れを五邪と言うのだと。

〔解説補足〕五邪とは風邪(肝木)、暑邪(心火)、飮食勞倦(脾土)、寒邪(肺金)、
      湿邪(腎水)の五つを指します。

〔原文〕
假令心病.何以知中風得之.
然.
其色當赤.何以言之.肝主色.自入爲青.入心爲赤.入脾爲黄.入肺爲白.入腎爲黒.
肝爲心邪.故知當赤色也.其病身熱.脇下滿痛.其脉浮大而弦.
〔訓読〕
仮令(たとえば)心病何を以って中風に之を得(う)ることを知らん。.
然(しか)るなり。
其(そ)の色当(まさ)に赤なるべし、何を以って之(これ)を言うべし、
肝は色を主(つかさど)る。自から入れば青をなし、心に入れば赤をなし、脾に入れば黄をなし、
肺に入れば白をなし、腎に入れば黒をなす。
肝は心の邪をなす。故に知らん当に赤色なるべし。其の病は身熱し、脇の下が満(みち)ち痛み、
其の脉は浮大にして弦なり。
〔解説〕
例えば、心に中風の邪が中(あた)った場合は、どうしてこれを知る事が出来るのか説明しなさい。
お答えします。
身体や顔の色が赤色になります。 それはどのような理由かと言うと、中風の邪は肝木の邪であり、
肝の性質として色を主(つかさど)るからです。
肝自からに入れば青色をなし、心に入れば赤色をなす訳です。また脾に入れば黄色をなし、
肺に入れば白色をなし、腎に入れば黒色をなす訳です。
だから、
肝邪である中風の邪が心を犯したが故に赤色になる訳です。
そして、この時の心の病状は、肌色が赤くなり、身体に熱が出て、脇の下が張り痛みます。
また、このときの脉状は浮大にして弦の脈になっています。

〔解説補足〕「中風の邪」は肝邪であり、肝の性質としては色を主ります。
     よって、「中風の邪」が各臓を犯すと肝自に入れば青色・心に入れば赤色・
     脾に入れば黄色・肺に入れば白色・腎に入れば黒色をなす訳です。

〔原文〕
何以知傷暑得之.
然.
當惡臭.何以言之.心主臭.自入爲焦臭.入脾爲香臭.入肝爲臊臭.入腎爲腐臭.入肺爲腥臭.
故知心病傷暑得之也.當惡臭.其病身熱而煩.心痛.其脉浮大而散.
〔訓読〕
何を以ってか傷暑之を得ることを知らん。  
然(しか)るなり。
当(まさ)に臭(におい)を惡(にく)むべし、何を以って之を言う。
心は臭を主る。自ら入れば焦臭(こげくさし)となり、脾に入れば香臭(かんばし)となり、肝に入れば臊臭(あぶらくさし)となり、腎に入れば腐臭(くされくさし)となり、肺に入れば腥臭(なまぐさし)となる。
故に知らんぬ心病に傷暑之を得れば当に臭を惡むべし。其の病、身熱して煩しく、心痛する。
其の脉は浮大にして散。
〔解説〕
暑さに傷れる病状(心の邪)とは如何なるものか説明しなさい。 
お答えします。
臭いを悪む(嫌がる)理由はどうゆう事かと言えば。
心の性質として臭いを主(つかさど)るからです。
この傷暑(心の邪)が自ら心に入れば焦(こげ)臭(にお)いを嫌がり、脾に入れば香(こうばしい)臭いを嫌がり、肝に入れば臊(あぶら:若木の皮を剥いだ時に出る)臭いを嫌がり、腎に入れば腐(くされ)臭いを嫌がり、肺に入れば腥(生くさい)臭いを嫌がります。
以上のような理由で、心に傷暑の邪を受ければ焦臭を嫌うのです。
そして、傷暑に侵された「心の病」の症状は身体が熱して胸苦しく痛むのです。
また、傷暑に侵された其の脉は浮大にして散脉を打ちます。

〔解説補足〕傷暑(暑さに傷れる状態)は「心の邪」です。
     この傷暑(心の邪)が五臓それぞれに入るとき臭いを悪む(嫌がる)事になります。

〔原文〕
何以知飮食勞倦得之.
然.
當喜苦味也.
虚爲不欲食.實爲欲食.
何以言之.脾主味.
入肝爲酸.入心爲苦.入肺爲辛.入腎爲鹹.自入爲甘.
故知脾邪入心.爲喜苦味也.其病身熱.而體重嗜臥.四肢不收.其脉浮大而緩.
〔訓読〕
(心に入る)何を以ってか飮食勞倦より之を得るを知らん。
然るなり。
当に苦味を喜(この)むなり。
虚するときには食を欲せず、実するときには食を欲することをなす。
何を以って之を言う、脾は味を主る。
肝に入りては酸(すっぱい)となり、心に入りては苦(にがい)となり、 肺に入りては辛(ピリからい)となり、 腎に入りては鹹(塩からい)となり、 
自ら脾に入りては甘きことをなす。 故に知らんぬ、脾邪心に入りて、苦味を喜むことをなすなり。其の病、身熱して體(からだ)重く臥すことを嗜み、四肢收らず、其の脉は浮大にして緩なり。
〔解説〕
心に飲食労倦の邪(脾の邪)が入った時には何を以って知るか説明しなさい。
お答えします。
心に飲食労倦の邪(脾の邪)が入った証拠は苦味(にがみ)を好む様になる。
食欲には虚実があり、虚している時には「食を欲せず」、実する時には「食を欲する」。
「脾は味を主る」ので、飲食労倦は「脾の邪」である。
肝に入ると酸となり、実する時には酸味を好み、虚する時には酸味を嫌う。
心に入ると苦となり、実する時には苦味を好み、虚する時には苦味を嫌う。
肺に入ると辛となり、実する時には辛味を好み、虚する時には辛味を嫌う。 
腎に入ると鹹となり、実する時には鹹味を好み、虚する時には鹹味を嫌う。  
自ら脾に入ると甘なり、実する時には甘味を好み、虚する時には甘味を嫌う。  
だから、知る事が出来る。脾の邪が心に入って、苦味を好むと言う事だと。
その病は、身体が熱して重くなり、寝る事・横になる事が好きになる。また、手足がだるくなり置き場に困る。そして、その脉は浮大にして緩であると。

〔解説補足〕五味において、その味を好むか否かでその臓の虚実が診分けられる。

〔原文〕
何以知傷寒得之.
然.
當譫言妄語.何以言之.肺主聲.入肝爲呼.入心爲言.入脾爲歌.入腎爲呻.自入爲哭.故知肺邪入心.爲譫言妄語也.其病身熱.洒洒惡寒.甚則喘欬.其脉浮大而濇.
〔訓読〕
(心に入る)何を以ってか傷寒より之を得るを知らん。
然るなり。
当に譫言(たんげん)妄語すべし、何を以って之を言う。
肺は声を主る。
肝に入りては呼(よぶ)ことをなし、
心に入りては言う(つぶやく)ことをなし、
脾に入りては歌うことをなし、
腎に入りては呻く(うめ)ことをなし、
自ら肺に入りては哭く(大声でなく)ことをなし、
故に知らんぬ、肺の邪、心に入りては譫言妄語をなすことを。
その心の病、身熱して洒洒(しゃあしゃあ)として悪寒し、甚(はなはだ)しきは喘欬す。
その時の心の病の脉浮大にして濇(しょく)なり。
〔解説〕
心に傷寒の邪(肺の邪)が入った時には何を以って知るか説明しなさい。
お答えします。
心に傷寒の邪(肺の邪)が入った証拠は「譫言妄語」のうわ言や意味不明の事を喋りだす様になる。
「肺は声を主る。」ので、譫言妄語は「傷寒の邪=肺の邪」である。
この「傷寒の邪=肺の邪」が肝に入ると、むやみに声を立てて呼び叫ぶ様になる。
心に入ると、うわ言や意味不明の事を喋りだす様になる。
脾に入ると、歌を歌いだす。 鼻歌ルンルンのときは脾の変動かな。
腎に入ると、呻く様になる。
自ら肺に入ると、大声で哭く様になる。
だから、「譫言妄語」を喋りだすと、「傷寒の邪=肺の邪」が心に入ってたと診断できます。
この時の心の病の症状は、身体が熱して、ゾクゾクして悪寒し、甚しい場合は喘欬します。
その時の脉は浮大にして濇の脉をう打ちます。

〔解説補足〕
〔第四九難での言葉の意味〕
譫言(たんげん)とは「うわ言」の意味。 
妄語とは、たわ言:下らない事を喋る。 
洒洒(しゃあしゃあ)よは身体がゾクゾクするさま。


〔原文〕
何以知中濕得之.
然.
當喜汗出不可止.何以言之.腎主液.入肝爲泣.入心爲汗.入脾爲涎.入肺爲涕.自入爲唾.
故知腎邪入心.爲汗出不可止也.其病身熱.而小腹痛.足脛寒而逆.其脉沈濡而大.
此五邪之法也.
〔訓読〕
(心に入る)何を以ってか中湿より之を得るを知らん。
然るなり。
当に汗出で、止(や)まざるべし。何を以って之を言う。
腎は湿を主る。
肝に入りては泣(なみだ)をなし、
心に入りては汗(あせ)をなし、
脾に入りては涎(よだれ)をなし、
肺に入りては涕(鼻汁)をなし、
自ら腎に入りては唾(つばき)をなす。
故に知らんぬ、腎の邪、心に入りては汗をなし、汗出でやむべからず。
その心の病、身熱して小腹痛み、足脛(すね)寒(ひ)え逆す。
その脉、沈濡にして大なり。

此れ五邪の法なり。

〔解説〕
心に中湿の邪(腎の邪)が入った時には何を以って知るか説明しなさい。
お答えします。
心に中湿の邪(腎の邪)が入った証拠は汗が出でて止まらない症状になります。
「腎は湿を主る。」ので、「中湿の邪=腎の邪」である。
「中湿の邪=腎の邪」が肝に入りては泣(なみだ)が出る。
心に入りては汗(あせ)が出る。
脾に入りては涎(よだれ)が出る。
肺に入りては涕(鼻汁)が出る。
自ら腎に入りては唾(つばき)が出る。
故に「中湿の邪=腎の邪」が心に入ると汗が出でていつまでも止まらない。
その心病の症状は、身体が熱して小腹(下腹)が痛む。足の脛(すね)が冷えて逆気する。
その脉、沈濡にして大である。

これが五邪の法則であると。

詳しくはこちらのHPをご覧ください。

http://you-sinkyu.ddo.jp/an049.html


なんとか、四十九難をアップしました。

2014.3.21




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Posted by やまちゃん at 18:20 | Comments(0) | 難経 ブログ勉強会 

難経ポイン 第四十八難 

2014年03月16日

    難経 第四十八難

ゆっくり堂の『難経ポイント』  第四十八難   ank048



  
※ 四十八難のポイント其の一、

四十八難は病気の診察と診断方法の記述です。

※ 四十八難のポイント其の二、

        病気の診察診断方法には三つの分類(①脉診・②病状・③触診)があり、
        そこに虚と実のタイプがあります。


難経 第四十八難 原文

(『難経』原本は底本:『難経』江戸・多紀元胤著、『黄帝八十一難経疏証』(国立国会図書館所蔵139函65号)オリエント出版、難経古注集成5(1982年)に影印)を参考しています。
 
 四十八難曰.
人有三虚三實.何謂也.
然.
有脉之虚實.有病之虚實.有診之虚實也.
脉之虚實者.濡者爲虚.緊牢者爲實.
病之虚實者.出者爲虚.入者爲實.
言者爲虚.不言者爲實.
緩者爲虚.急者爲實.
診之虚實者.濡者爲虚.牢者爲實.
癢者爲虚.痛者爲實.
外痛内快.爲外實内虚.内痛外快.爲内實外虚.
故曰.虚實也.
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 四十八難の訓読

(井上恵理先生の解説:経絡鍼療(号)と本間祥白先生の解説、福島弘道先生の解説を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)

 詳しくは各先生の文献を参照されたし。

 四十八難に曰く。
人に三虚三実有りとは何の謂(いい)ぞや。
然(しか)るなり。
脉の虚実有あり、病の虚実有あり、診の虚実有あるなり。
脉の虚実は、濡(じゅ)なるものを虚となし、緊牢(きんろう)なるものを実となす。
病状の虚実とは、出るものを虚となし、入るものを実となす。
言うものを虚なし、言わざるものを実となす。
緩なるものを「虚」となし、急なるものを「実」となす。
診の虚実は濡なるものを虚となし、牢なるものを実となす。
痒(かゆ)きものを虚となし、痛むものを実となす。
診の虚実は濡なるものを虚となし、牢なるものを実となす。
外痛み内快きを外実内虚となし、内痛み外快きを内実外虚となす。
故に虚実と曰う。

   四十八難の解説

(井上恵理先生の解釈:経絡鍼療(号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)

 四十八難の解説をします。

人間の病気の診察と診断方法には三つの分類があり、そこに「虚」と「実」のタイプがあります。
これらを説明しなさい。

お答えします。

脉診における虚実が有あり、病状における虚実が有あり、触診における虚実の診察診断法があります。

脉診においての虚実は、濡(じゅ)脉は軟(やわ)らかい弱い脉状で「虚」を顕し、緊牢(きんろう)の脉は緊張して硬く強い脉状を「実」と診ます。 

病状において、五臓の内因の病状が外に出て現われるものを「虚」と言い、内因の病状に外邪が入って、病状が出る状態を「実」と診断します。

病人の言動において、病状を盛んに訴える人は内因症の「虚証」であり、押し黙って黙って寝ている人は外邪性の「実証」です。

病気の発症形態として、病気がジワジワ・ジワジワと段々と緩(ゆる)やかに来るものを「虚」と言い、例えば急にカーッと熱が出る様な、急に来る病気を「実」と言います。

触診における虚実の診察診断法として、濡とは軟(やわ)らかい皮膚状態で「虚」を顕し、
牢とは硬い皮膚状態で「実」と診ます。

皮膚が痒いのは虚証です。痛みは実証です。

「外実内虚」は皮膚表面をそっと触れるだけでも痛い。ところがズーッと押し込むとかえって気持ちが良い。外が実して中が虚している状態であると診ます。
「内実外虚」は皮膚表面を触れると気持ちが良い。だけどグッと押すと痛い。内が実して外が虚している状態であると診ます。

四十八難の病気の虚実はこの様に診なさいと。


詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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四十八難の詳細解説

(井上恵理先生の訓読・解釈:経絡鍼療(号)と本間祥白先生の訓読・解釈、福島弘道先生の訓読・解釈を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)詳しくは各先生の文献を参照されたし。

山口一誠の考察により原文・訓読・解説(解説補足)の順に文章を構成します。

〔原文〕四十八難曰.
〔訓読〕四十八難に曰く。
〔解説〕四十八難の解説をします。

〔原文〕人有三虚三實.何謂也.
〔訓読〕人に三虚三實有りとは何の謂(いい)ぞや。
〔解説〕人間の病気の診察と診断方法には三つの分類があり、そこに虚と実のタイプがある。
    これらを説明しなさい。

〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。

〔原文〕有脉之虚實.有病之虚實.有診之虚實也.
〔訓読〕脉の虚実有あり、病の虚実有あり、診の虚実有あるなり。
〔解説〕脉診における虚実が有あり、病状における虚実が有あり、触診における虚実の診察診断法がある。

〔原文〕脉之虚實者.濡者爲虚.緊牢者爲實.
〔訓読〕脉の虚実は、濡(じゅ)なるものを虚となし、緊牢(きんろう)なるものを実となす。
〔解説〕脉診においての虚実は、濡脉は軟(やわ)らかい弱い脉状で虚を顕し、
               緊牢の脉は緊張して硬く強い脉状を実と診る。 

〔原文〕病之虚實者.出者爲虚.入者爲實.
〔訓読〕病状の虚実とは、出るものを虚となし、入るものを実となす。
〔解説〕「出者爲虚」とは五臓の内因の病状が外に出て現われるものを虚と言い、
    「入者爲實」とは五臓の内因の病状があり、そこに外邪(風・寒・暑・湿・燥)が入って、痛みや熱症などの病状が出る状態を実と診断します。

〔解説補足1〕五臓の内因には、七情があり、いわゆる感情に支配されて、不安感心配事・具体的な悩み・思い事・恐れる・悲しいことなどが「原因と病状」になった心身状態を「虚」と診ます。

〔解説補足2〕病因論: 病気が起きる原因は大きく分けると三つあります。
① 内因: 内面的な感情が強くなりすぎると発病します。これは七情という感情です。
  七情は、怒、喜、憂、思、悲、驚、恐の感情ことを言います。これらの感情がうっ積するこ
  とで、病気が起きます。
② 外因: 外邪が身体に作用して起こります。これは六淫の外邪です。
  風・寒・暑・湿・燥・火の六種の外からの病邪を六淫の邪と言います。

 詳しくは病因論HPを参照されたし。:http://you-sinkyu.ddo.jp/c104.html

〔原文〕言者爲虚.不言者爲實.
〔訓読〕言うものを虚なし、言わざるものを実となす。
〔解説〕病人の言動において、病状を盛んに訴える人は内因症の虚証であり、押し黙って黙って寝ている人は実証である。

〔解説補足1.〕虚証は自分の症状をベラベラしゃべる人です。
     「・・ここが苦しい・ここを抑えてくれ・水を持ってこい・飯がまずい」等々と。
     実証は外邪に入られ、辛くて口も利きたくない状態の人です。

〔解説補足2.〕患者さんが来て、十年前からの病歴を話す人、これは虚証の人です。
  ここで、治療家の良否が試されます。良い治療家の態度は、患者の話をよく聞いて、「今は、どうですかと?」と間髪を入れずに聞いて現在の病状を知り今の治療に役立てる事、そうすれば、あの鍼灸院は丁寧で治りが良いと成ります。

〔原文〕緩者爲虚.急者爲實.
〔訓読〕緩なるものを「虚」となし、急なるものを「実」となす。
〔解説〕病気の発症形態として、病気がジワジワ・ジワジワと段々と緩(ゆる)やかに来るものを「虚」と言い、例えば急にカーッと熱が出る、急に来る病気を「実」と言う。

〔原文〕診之虚實者.濡者爲虚.牢者爲實.
〔訓読〕診の虚実は濡なるものを虚となし、牢なるものを実となす。
〔解説〕触診における虚実の診察診断法として、濡とは軟(やわ)らかい皮膚状態で「虚」を顕し、牢とは硬い皮膚状態で「実」と診る。

〔解説参考例1〕
虚証の肩こりの場合は、皮膚面は緩んで柔らかいその部を少し押すと硬く張ったものがあるこれは
           虚の肩こりです。よつてこの部には補法の鍼を施します。
実証の肩こりの場合は、皮膚面から硬く張っていて痛みがあるこれは牢であり実の肩こりです。
           ここには瀉法の鍼を施します。

〔解説参考例2〕
虚証の頭痛の場合は、皮膚面はブクブクとコンニャクの様に柔らかい。抑えると気持ちがいい。
実証の頭痛の場合は、皮膚面は硬くて顔までひきつれた様に痛い。

〔解説参考例3〕
虚証の腹部の場合は、お腹が柔らかいが、どうも張っているときは虚証の腹張りです。
実証の腹部の場合は、お腹がパンパンに張って苦しいときは実証の腹張りです。

〔原文〕癢者爲虚.痛者爲實.
〔訓読〕痒(かゆ)きものを虚となし、痛むものを実となす。
〔解説〕皮膚が痒いのは虚証です。痛みは実証です。

〔原文〕外痛内快.爲外實内虚.内痛外快.爲内實外虚.
〔訓読〕外痛み内快きを外実内虚となし、内痛み外快きを内実外虚となす。
〔解説〕「外実内虚」は皮膚表面をそっと触れるだけでも痛い。ところがズーッと押し込むとかえって気持ちが良い。外が実して中が虚している状態であると診るのです。
「内実外虚」は皮膚表面を触れると気持ちが良い。だけどグッと押すと痛い。内が実して外が虚している状態であると診るのです。

〔原文〕故曰.虚實也.
〔訓読〕故に虚実と曰う。
〔解説〕四十八難の病気の虚実はこの様に診なさいと。


最近、難経ポイントの投稿に時間がかかります。

でも、臨床には役立つとおもいます。

鍼灸に興味のある方のご意見をお聞かせください。

平成26年3月16日







 

Posted by やまちゃん at 13:23 | Comments(0) | 難経 ブログ勉強会 

難経ポイント第四十七難 

2014年03月13日

久しぶりに投稿します。

  難経 第四七難

ゆっくり堂の『難経ポイント』  第四十七難   ank0471 脘
  
※ 四十七難のポイント其の一、人間の顔はいつもヌードである。

※ 四十七難のポイント其の二、全ての陽経脉の始終穴だけが顔の両耳の幅上にある。

※ 四十七難のポイント其の三、陽は熱であり、機能旺盛です、だから、顔は寒に耐えるのです。

詳しくは、
http://you-sinkyu.ddo.jp/ank00.html
をご覧ください。







四十七難経原文

四十七難曰.
人面獨能耐寒者.何也.
然.
人頭者.諸陽之會也.
諸陰脉皆至頸胸中而還.
獨諸陽脉.皆上至頭耳.
故令面耐寒也.
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 四十七難の訓読

(井上恵理先生の訳文:経絡鍼療(455号)と本間祥白先生の訓読、福島弘道先生の訓読を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)

四十七の難に曰く、
人の面、独り能(よ)く寒に耐うるのは何ぞや。
然るなり。
人の頭と顔は諸陽の会なり。
諸陰の脉は皆頸胸中に至って還(か)える、
独り諸陽脉皆上って頭耳の幅に至る。
故に面をして寒に耐えしむるなり。

 詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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 四十七難の解釈

(井上恵理先生の解釈:経絡鍼療(455号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして、
 山口一誠の考察文にて構成しました。)

四十七難を解説します。
人間の顔は寒い冬でも裸である。これはどの様な理由なのか説明しなさい。
お答えいたします。
頭と顔は十二経絡の中で陽経の流注(るちゅう)が流れていています。
陰経の外経流注は全て頸(くび)か胸の位置までしか行っていない。
全ての陽経脉の始終穴だけが顔の両耳の幅上にある。
陽は熱であり、機能旺盛です、だから、顔は寒に耐えるのです。

  四十七難の詳細解説。

(原文・訓読・解釈〔解説補足〕の順に文章を構成します。)

詳しくは、
http://you-sinkyu.ddo.jp/ank00.html
をご覧ください。



久しぶりに投稿します。

2014.3.13 脘














 

Posted by やまちゃん at 13:50 | Comments(0) | 難経 ブログ勉強会